今夜から始まるアゴラ経済塾「インフレ時代に資産を守る」パート3(まだ受け付け中)の一つのテーマは、ケインズである。彼の理論は1936年に急に出てきたのではなく、1929年以降の大恐慌の中で均衡財政を守るマクドナルド内閣に対して赤字財政を求める政治的なメッセージだった。
しかし『一般理論』は難解で、イギリスでは採用されなかった。アメリカでもルーズベルトはケインズの論文を読んでいなかった。ニューディールは普通のインフラ投資であり、1936年に終わってしまった。ケインズ理論の最大の「成功例」はナチ・ドイツである。
ヒトラーが政権を掌握した1933年以降、大量失業やハイパーインフレがなくなり、失業者は1932年の557万人から1939年には12万人へと激減した。原田泰氏は日銀の審議委員だったとき、これを「ヒトラーの財政・金融政策は正しかった」と述べて批判を浴びたが、彼はその原因を知らなかった。
ナチはアウトバーンなどの公共事業と、毎年100万人以上の徴兵で雇用を創出した。軍事費は1933年の8倍以上に膨張し、軍需生産は工業生産の40%に達した。ヒトラーはケインズを知らなかったが、それは結果的にケインズ理論と一致していた。このような極端な赤字財政は、民主国家では不可能だった。ナチの経済政策は戦時経済だったのだ。
続きは7月10日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)
しかし『一般理論』は難解で、イギリスでは採用されなかった。アメリカでもルーズベルトはケインズの論文を読んでいなかった。ニューディールは普通のインフラ投資であり、1936年に終わってしまった。ケインズ理論の最大の「成功例」はナチ・ドイツである。
ヒトラーが政権を掌握した1933年以降、大量失業やハイパーインフレがなくなり、失業者は1932年の557万人から1939年には12万人へと激減した。原田泰氏は日銀の審議委員だったとき、これを「ヒトラーの財政・金融政策は正しかった」と述べて批判を浴びたが、彼はその原因を知らなかった。
ナチはアウトバーンなどの公共事業と、毎年100万人以上の徴兵で雇用を創出した。軍事費は1933年の8倍以上に膨張し、軍需生産は工業生産の40%に達した。ヒトラーはケインズを知らなかったが、それは結果的にケインズ理論と一致していた。このような極端な赤字財政は、民主国家では不可能だった。ナチの経済政策は戦時経済だったのだ。
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