古典の定義が「だれでも名前を知っているが、読んだことのない本」だとすると、ケインズの『一般理論』は、経済学の最大の古典だろう。かつてそれは東洋経済新報社が版権を独占していたため、塩野谷祐一訳のひどい訳本しかなく、版権が切れてからも岩波文庫のもっとひどい訳しかなかった。
最近の山形訳や大野訳はそれよりましだが、訳本で読むと、ほとんどの人がすぐ挫折すると思う。ペダンティックな悪文で、独自の造語がたくさん出てくるが、理論が数学的に定式化されていないので、どこが一般的なのかよくわからない。ケインズがおかしいのか、訳者が理解していないのか、自分の頭が悪いのかわからない。
おすすめしたいのは、原著のKindle版か無料のPDF版である。これで読むと、ケインズ自身が混乱していることがわかる。特に「乗数効果」の部分はリチャード・カーンと一緒に書いたといわれ、理論的には余計な「5本目の車輪」である。
ほとんどの人にとっては、ケインズが『一般理論』のエッセンスを15ページにまとめた論文で十分だと思う。ここには乗数効果も有効需要も出てこない。ケインズは一貫して不確実性による投資不足こそ自分の理論のコアであることを強調する。これは21世紀の日本にも通じる問題である。
行動経済学的にいえば、不況や失業を引き起こすのは、こうした金利生活者の不確実性回避的なバイアスなのだ。したがってケインズは、こういう状況では政府が需要を創出する政策が必要だと考えたが、これは政府のエリートにはバイアスがないというハーベイロードの前提というバイアスだった。
ケインズも財政出動は短期的な対症療法だと考えていたが、長期的な解決策は何かという問いには明確に答えていない。過少投資の原因はいろいろあるが、ケインズの時代には銀行の連鎖倒産による取り付けだった。
これによって大きく均衡状態からはずれた経済は、普通の市場メカニズムでは元に戻らない。人々がリスクを恐れて現金をもち、そのため投資が不足して金利が資本収益率(ケインズのいう資本の限界効率)を上回り、そのため投資が不足する…という悪い均衡にトラップされてしまうからだ。
日本の2000年以降の「デフレ」の原因も、バブル崩壊による金融危機だったが、これによってゼロインフレ・ゼロ金利の悪い均衡に陥った日本経済は、過少投資(貯蓄過剰)から脱却できなかった。その原因と結果を取り違え、量的緩和で過少投資を解決しようとしたアベノミクスは失敗に終わった。
この時期に欧米から20年遅れの「新自由主義」で開始した電力自由化は、過少投資をさらに促進する愚かな制度改革だった。電力会社が設備過剰だった20世紀末に始まった「市場経済化」を、原発の止まった2010年代に強行した発送電分離は、大規模な過少投資をもたらした改革の悪例として、世界の参考になろう。
同じ年に出版されたフランク・ナイトの『リスク、不確実性、利潤』が不確実性に対処するシステムとして企業の経営者を考えたのに対して、ケインズは、将来が不確実なときは今までどおり行動し、投資収益が不確実なときはリスクのない貨幣をもつ流動性選好を考えた。
このような保守的な投資家の現状維持的な行動が投資を抑制し、不況を長期化するというのが『一般理論』のコアである。これは現代の日本にも当てはまる。個人金融資産の半分以上が預貯金で、銀行が融資しないで国債を買う現状は、日本人が不確実性に対処できない無知のあらわれである。
最近の山形訳や大野訳はそれよりましだが、訳本で読むと、ほとんどの人がすぐ挫折すると思う。ペダンティックな悪文で、独自の造語がたくさん出てくるが、理論が数学的に定式化されていないので、どこが一般的なのかよくわからない。ケインズがおかしいのか、訳者が理解していないのか、自分の頭が悪いのかわからない。
おすすめしたいのは、原著のKindle版か無料のPDF版である。これで読むと、ケインズ自身が混乱していることがわかる。特に「乗数効果」の部分はリチャード・カーンと一緒に書いたといわれ、理論的には余計な「5本目の車輪」である。
ほとんどの人にとっては、ケインズが『一般理論』のエッセンスを15ページにまとめた論文で十分だと思う。ここには乗数効果も有効需要も出てこない。ケインズは一貫して不確実性による投資不足こそ自分の理論のコアであることを強調する。これは21世紀の日本にも通じる問題である。
保守的な投資家が過少投資をまねく
投資水準は資金需給の均衡ではなく、予測不可能な未来についての投資家の心理で決まるので、それが完全雇用を実現する保証はない。他方、資金をもつ資産家は、不確実性を恐れて現金を保有する流動性選好をもつので、この分だけ金利が高くなって過少投資が起こる、というのがケインズの理論である。行動経済学的にいえば、不況や失業を引き起こすのは、こうした金利生活者の不確実性回避的なバイアスなのだ。したがってケインズは、こういう状況では政府が需要を創出する政策が必要だと考えたが、これは政府のエリートにはバイアスがないというハーベイロードの前提というバイアスだった。
ケインズも財政出動は短期的な対症療法だと考えていたが、長期的な解決策は何かという問いには明確に答えていない。過少投資の原因はいろいろあるが、ケインズの時代には銀行の連鎖倒産による取り付けだった。
これによって大きく均衡状態からはずれた経済は、普通の市場メカニズムでは元に戻らない。人々がリスクを恐れて現金をもち、そのため投資が不足して金利が資本収益率(ケインズのいう資本の限界効率)を上回り、そのため投資が不足する…という悪い均衡にトラップされてしまうからだ。
日本の2000年以降の「デフレ」の原因も、バブル崩壊による金融危機だったが、これによってゼロインフレ・ゼロ金利の悪い均衡に陥った日本経済は、過少投資(貯蓄過剰)から脱却できなかった。その原因と結果を取り違え、量的緩和で過少投資を解決しようとしたアベノミクスは失敗に終わった。
この時期に欧米から20年遅れの「新自由主義」で開始した電力自由化は、過少投資をさらに促進する愚かな制度改革だった。電力会社が設備過剰だった20世紀末に始まった「市場経済化」を、原発の止まった2010年代に強行した発送電分離は、大規模な過少投資をもたらした改革の悪例として、世界の参考になろう。
確率は「無知」の尺度である
ケインズは数学者であり、『確率論』という著書もある。そこでは彼は確率をサイコロのような客観的な出来事ではなく主観的な賭けと考え、確率を無知の尺度と考えた。これはラムゼーに批判されたが、のちのベイズ確率論の先駆となった。同じ年に出版されたフランク・ナイトの『リスク、不確実性、利潤』が不確実性に対処するシステムとして企業の経営者を考えたのに対して、ケインズは、将来が不確実なときは今までどおり行動し、投資収益が不確実なときはリスクのない貨幣をもつ流動性選好を考えた。
このような保守的な投資家の現状維持的な行動が投資を抑制し、不況を長期化するというのが『一般理論』のコアである。これは現代の日本にも当てはまる。個人金融資産の半分以上が預貯金で、銀行が融資しないで国債を買う現状は、日本人が不確実性に対処できない無知のあらわれである。