異教的中世
LGBT法案で同性愛が問題になっているが、これは近代ヨーロッパに固有のタブーである。日本にはセックスが恥ずかしいとか不浄だとかいう道徳観念は、まったくなかった。古事記には、おおらかな先祖の性行為が情緒ゆたかに描かれている。

ヨーロッパでも文字で残されている記録は聖職者の書いたものなので、性に関する強い禁忌が記されているが、民衆の行動はそれとはまったく違っていた。性道徳は、中世以降にキリスト教が作り出した権力装置だ――というのがフーコーの『性の歴史』である。

権力の問題を性という具体的な素材で描く発想はよかったのだが、ほどなくフーコーは性のタブーが中世ヨーロッパだけではなく、古代からさまざまな社会にあったことを見出す。これを一つのカテゴリーにくくることは困難で、まして西欧近代の「統治性」と結びつけることはできない。

しかし本書も指摘するように、フーコーの問題の立て方は逆だった。カトリック教会が信徒に強い性のタブーを強制したのは、彼らの性生活に介入するためではなく、キリスト教の道徳を移植するためだった。それは封建領主の武力なしにはできなかったが、領主も政治的秩序を維持するために異教的秩序を排除する必要があったのだ。

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