功利主義入門 ──はじめての倫理学 (ちくま新書)
経済学者の意見はバラバラだといわれるが、対立が多いのはマクロ経済学だけで、ミクロ経済学ではほとんど対立はない。むしろ経済学者とそれ以外の対立が大きい。たとえばエネルギー問題では、世界の3500人の経済学者が世界一律40ドル/トンの炭素税を提言したが、政治家には相手にされない。

その最大の原因は、経済学者が功利主義(utilitarianism)で考えるからだろう。「地球を守れ」とか「人類を救え」といった話は、普遍的な価値を想定しているが、経済学者は価値判断は主観的なもので、すべての人にとって望ましい価値は存在しないと考える。1.5℃目標もカーボンニュートラルも目的ではありえない。

経済学者の認める目的は、効用(utility)だけである。ベンサムはその原理を最大多数の最大幸福という言葉で表現した。これは一見するとシンプルな問題で、答を出すのも簡単である。全知全能の計画当局が人々の効用を知っていれば、その合計を最大化するように社会を設計すればいい。

すべての人命は同じように重いとすると、アフリカで餓死する子供の命も先進国の高齢者の命も同じである。アフリカのワクチン接種などの医療援助1兆円で、400万人の命が救えるという。1人あたりの命のコストは25万円である。

それに対して日本では、8万人のコロナ死者に120兆円以上のコストをかけた。1人15億円である。費用対効果で考えると、先進国でコロナ対策に金をかけるよりアフリカでワクチン接種をするコストのほうがはるかに低く、幸福を最大化できる。

ベンサムが最初に功利主義を適用したのも公衆衛生だった。当時のロンドンは衛生状態が悪く、1軒の家に50人以上が住み、ゴミや排泄物は道に捨てられていた。ベンサムはそれを解決する「保健省」を設立し、社会全体を計画当局が管理することを提言した。有名なパノプティコンも彼の提案だが、このようなパターナリズムは反発を受け、実現しなかった。

800px-Panopticon
ベンサムの描いたパノプティコン

続きは5月22日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)