西浦博氏が「コロナウイルスは命を奪うのに最適に進化した」といって失笑を買っているが、そんなことはありえない。ウイルスが宿主の命を奪うとウイルスも死んでしまうので、ウイルスは宿主を殺さないで個体数を最大化するというのが、生物学の実験結果である。
このような集団淘汰は、進化論で大論争になった。一つの立場はE.O.ウィルソンのようなマルチレベル淘汰の理論で、個体レベルとは別の集団レベルの淘汰が起こるというものだが、これは主流の血縁淘汰(包括適応度)の立場からは批判されている。
本書はこの主流の立場からマルチレベル淘汰理論を批判し、進化は個体レベルの血縁淘汰に帰着するという。数学的な議論はややこしいのでアゴラサロンに書くが、結論としてはプライスの定理は進化の単位を個体としても集団としても成り立つので、個体レベルとは別の集団淘汰を想定する必要はないという。
これは生物学では主流のようだが、社会科学では人間が集団レベルで行動することは明らかだ。ウクライナ戦争は、利己的な行動としては説明できない。しかしそれを個人を超えた愛国心や利他的な感情で説明するのは安易だ、という本書の批判はもっともである。
続きは5月8日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)
このような集団淘汰は、進化論で大論争になった。一つの立場はE.O.ウィルソンのようなマルチレベル淘汰の理論で、個体レベルとは別の集団レベルの淘汰が起こるというものだが、これは主流の血縁淘汰(包括適応度)の立場からは批判されている。
本書はこの主流の立場からマルチレベル淘汰理論を批判し、進化は個体レベルの血縁淘汰に帰着するという。数学的な議論はややこしいのでアゴラサロンに書くが、結論としてはプライスの定理は進化の単位を個体としても集団としても成り立つので、個体レベルとは別の集団淘汰を想定する必要はないという。
これは生物学では主流のようだが、社会科学では人間が集団レベルで行動することは明らかだ。ウクライナ戦争は、利己的な行動としては説明できない。しかしそれを個人を超えた愛国心や利他的な感情で説明するのは安易だ、という本書の批判はもっともである。
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