「社会正義」はいつも正しい 人種、ジェンダー、アイデンティティにまつわる捏造のすべて
LGBTは日本ではどうでもいい話だが、アメリカではかなり深刻な問題である。本書はその背景にある意識高い系(woke)の心理を分析したものだ。ポストモダンはフランスでは1970年代に終わったお遊びだが、それが英訳された1980年代以降、アメリカの文学部系の研究者がもてはやすようになった。

ジェンダー理論の元祖は、フーコーである。彼はゲイだったが、ジェンダーは生物学的な概念ではなく権力の記号だと考え、その原因を生政治に求めた。これは難解な概念で、アメリカ人には理解できないだろうが、それを応用してバカげた論文を書くのは簡単である。

たとえば日赤のポスターで話題になった「宇崎ちゃんは遊びたい!」についてチャットGPTにきいてみると、こんな答が出た。

物語は、高校生の宇崎ちゃんとサクライ君の恋愛模様を描いています。ジェンダー批評の観点から言えば、この作品では一部の登場人物が性別のステレオタイプを強調して描かれていることが指摘できます。たとえば、宇崎ちゃんは、可愛らしい容姿や天然な性格が強調されていますが、これが一部のリーダーには女性像のステレオタイプ化につながる可能性があります。また、サクライ君はクールで物静かな性格で、男性のステレオタイプを表しているとも捉えられます。

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こんな感じで、マンガや小説に「性別のステレオタイプ」とか「男中心の社会像」を読み取り、それをデリダ的に「脱構築」して新自由主義とか自民党支配などの「本質」を暴くわけだ。著者の一人はそういうフェミニズムの用語で書いたでたらめな論文を学術誌に投稿し、20本中7本が査読を通過して掲載されたという。

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