蕩尽する中世(新潮選書)
バタイユは市場における交換に視野を限定した「限定経済学」に対して、贈与や浪費にもとづく普遍経済学の構築をめざしたが、未完に終わった。彼の試みを継承する経済学者はいないが、それは歴史学の分野で構築されるのかもしれない。

歴史を考える上で、交換や貨幣で理解できる部分はきわめて少ない。古代までの歴史の大部分は、贈与と共有で成り立っていた。農業社会で穀物が貯蔵できるようになると剰余が発生するが、それを一部のメンバーが独占するのを防ぐために蕩尽するのが国家の役割だった。

古代日本で古墳など実用性のないモニュメントがつくられたのは、人々のエネルギーを蕩尽すると同時に、それを動員する権力を誇示するためだった。そのエネルギーは軍事力にはほとんど使われず、宮殿や寺社などの装飾に消費された。

それが変わり始めたのが、院政の時代である。白河上皇は荘園整理令で摂関家の荘園を剥奪して上皇に集中し、それを守る武士を雇った。平安時代には藤原家が天皇家に娘を嫁がせ、その産んだ子が天皇になる実質的な女系だったが、白河上皇はこれを男系に改め、それ以降も上皇が最高権力者となった。

平安時代の女系社会の蕩尽は『源氏物語』に代表される文化だったが、中世(院政期)以降はその剰余を軍事力として蓄積した武士が上皇に雇われ、次第に実権を握るようになった。その転換期を代表するのが源氏と平家の戦いだった。

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