五・一五事件-海軍青年将校たちの「昭和維新」 (中公新書 (2587))
岸田首相の襲撃事件は、安倍暗殺事件をきっかけに統一教会の問題が注目を集めたことが成功体験になったようだ。このようにテロをほめることが次のテロを生む事例として有名なのが、1932年の五・一五事件である。

このとき軍法会議で1人も死刑にならなかった原因は「100万通以上の助命嘆願書」だといわれるが、この数字の出所は不明である。本書によれば嘆願書は70万通を超えたが、それ自体は軍法会議に影響を与えなかった。軍部は嘆願書の受け取りを拒否したからだ。当初、世論の同情は暗殺された犬養毅に集まり、軍部を批判する新聞もあった。

その流れが変わったのは、事件の1年後に始まった軍法会議だった。このとき陸海軍と司法省は「日本の行き詰まりの根元は政党、財閥及び特権階級の結託」にあるという異例の共同発表を行い、被告の行動を「至純」と賞賛して世論を誘導した。

その結果、首謀者3人に死刑が求刑されたが、最高で禁固15年に減刑された。これは首相を殺害した内乱罪としては異常に軽い刑で、これを見た陸海軍の青年将校は次々とクーデタを起こし、4年後に二・二六事件が起こった。

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