環境保護運動のスローガンに「地球を守れ」という話がよくあるが、地球は人間に守ってもらう必要はない。それは46億年の歴史の99.9%を人間なしで過ごしてきた。
「生物の大絶滅を防げ」という話もよくあるが、生物の個体数は増えている。環境破壊で種の多様性は減っているが、それを守る必要はあるのだろうか。
晩年のデリダのテーマは動物の権利だった。「鯨やイルカを守れ」という主張をどう考えるか、という質問に対して、彼は「そういう哺乳類と他の動物との差異は絶対的なものではありえません」と答え、ベンサムの次の言葉を引用する:
鯨が殺されるとき苦しむとすれば、牛も豚も鼠もゴキブリも、殺されるときには苦しむ。さらに「すべての生命を尊ぶ」ことを原則にするなら、ヴィーガンでさえ無罪ではない。人類はすべて餓死することが、もっとも人道的な生き方である。
これは彼の環境左翼への批判だった。すべての生命を守れという理想は美しいが、その生命とはどこまでか。イルカを殺すのが不道徳なら、牛を殺すのは道徳的なのか。環境保護はヒューマニズムだが、それは人間中心主義の偽善なのだ。
続きは4月17日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)
「生物の大絶滅を防げ」という話もよくあるが、生物の個体数は増えている。環境破壊で種の多様性は減っているが、それを守る必要はあるのだろうか。
晩年のデリダのテーマは動物の権利だった。「鯨やイルカを守れ」という主張をどう考えるか、という質問に対して、彼は「そういう哺乳類と他の動物との差異は絶対的なものではありえません」と答え、ベンサムの次の言葉を引用する:
The question is not: can they speak? but can they suffer?
鯨が殺されるとき苦しむとすれば、牛も豚も鼠もゴキブリも、殺されるときには苦しむ。さらに「すべての生命を尊ぶ」ことを原則にするなら、ヴィーガンでさえ無罪ではない。人類はすべて餓死することが、もっとも人道的な生き方である。
これは彼の環境左翼への批判だった。すべての生命を守れという理想は美しいが、その生命とはどこまでか。イルカを殺すのが不道徳なら、牛を殺すのは道徳的なのか。環境保護はヒューマニズムだが、それは人間中心主義の偽善なのだ。
続きは4月17日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)