武士の日本史 (岩波新書)
日本史の教科書では、武士は関東の有力な農民が武装し、京都の貴族に対抗して政権を樹立したと書かれているが、これは史実に合わない。「源平藤橘」と呼ばれる武士の家系(源、平、藤原、橘)はいずれも貴族で、農民ではない。

「芸能」という言葉は、律令制で医療・学問・芸術・武術・歌舞音曲などの幅広い技能をさすことばで、中世以降も使われたが、その中で武術を使う人を「武士」と呼ぶようになった。この場合の武士は「文士」の対義語で、天皇や貴族などの文士を武力で守るボディガードだった。

これは戦争に動員される武士団とは違い、馬に乗って弓を射る芸が必須だった。これはいまでも流鏑馬(やぶさめ)として知られているもので、実戦にはほとんど役に立たなかったが、甲冑を着て弓矢を使うことが武士の条件だった。源氏や平家も10世紀に生まれたこのような軍事貴族であり、農民とは無関係だった。

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