日本の電波行政が、いまだに放送に政治的公平を求める一方、電波オークションも行われないなど石器時代のような状況なのは理由がある。それは戦後の占領体制のもとで、米軍支配の一環としてつくられたからだ。

1952年に日本最初のテレビ放送免許を取得したのはNHKではなく、日本テレビである。その社長だった正力松太郎はCIAの工作員であり、ポダムという暗号名をもっていた。彼はGHQを後ろ盾にして通信・放送を支配下に収め、日本をアジアの反共の橋頭堡とする正力構想を実行しようとした。

世界で初めて1928年にテレビを発明したのは日本の高柳健次郎であり、この方式では1チャンネルは7MHzだった。それに対してアメリカのNTSCでは6MHzで、GHQはこれを日本に導入しようとし、郵政省もその方針に従った。NHKは7MHz案を主張したが、占領体制ではNHKに勝ち目はなく、NTSC方式が採用されて国産技術は葬られた。

正力構想は米軍の通信網を使って通信・放送を一つのネットワークに統合する計画だったが、これには電電公社が強く反対し、吉田茂がそれをバックアップしたため、正力構想は挫折した。おかげでテレビには全国ネットワークができす、各県ばらばらの県域免許の放送局を電電公社のマイクロ回線で結ぶ変則的な構造になった。

その結果、地方民放は県域では採算が取れず、在京キー局からもらう電波料という補助金で経営するゆがんだ構造になった。その利権構造を支配したのは、自民党の田中派だった。このように自民党と深く結びつき、今も強い政治力をもつ民放連が電波行政の癌である。

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