未来のための電力自由化史
大手電力会社が4月から実施する予定の規制料金の値上げ申請について、岸田首相は「厳格な査定」を西村経産相に指示し、認可は5月以降にずれこむ見通しになった。ただでさえ電力各社は赤字を抱えているのに、人件費や広報費を削れという。これが電力自由化した国の出来事なのか。そもそもなぜ自由化したのに料金認可があるのか。

電力自由化の目的は単純である。安定供給を保つ範囲で電気料金を安くすること。その最大のポイントは、負荷率を高めることだった。これは「年間の平均電力使用量÷ピーク電力量」で、設備利用率をあらわす。1990年代には日本の負荷率は55%ぐらいで、設備のほぼ半分は使われていなかったのだ。

この過剰設備を価格メカニズムで是正することが、1990年代に英米で始まった自由化のねらいだった。送電には規模の経済が大きいが、発電には規模の経済はあまりないので、理論的には発送電分離して価格を自由にし、新しい発電業者が参入すれば、設備の余っている春や秋に既存の電力会社より安く電力を供給し、ピークの夏や冬に高い料金で供給して利益を上げ、設備効率は上がるはずだった。

しかしこういうクリームスキミングは、既存の電力会社には許せないので、いろいろな意地悪をして停電騒ぎが起こった。特にひどかったのは、2000年夏から翌年にかけて起こったカリフォルニアの大停電だった。このときは電力自由化を悪用して電気料金をつり上げたエンロンが悪者にされて破産したが、本質的な欠陥は自由化そのものにあったのだ。

続きは2月27日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)