ブランシャールの新著がさっそく翻訳された。訳者はBlanchard-Tashiroの共著者、田代毅氏。本書は現在のマクロ経済学の世界標準で、日銀の植田新総裁の理論に近い。今後の日銀の方針を考える上でも参考になる。
日本語版への序文では、本書の研究のきっかけは日本の状況を理解することだったと書いている。2000年以降のゼロ金利は、当初は不良債権処理にともなう特殊な現象と思われたが、2008年以降は世界全体の現象になった。
その最大の原因は、慢性的な需要不足で中立金利が実質成長率を下回る傾向が定着したためだ。これは資本収益率が低下したことを示しており、民間投資を公的投資で置き換える機会費用が小さくなった。財政破綻が近づいているという懸念は妥当なものではなく、現在の日本にはプライマリーバランスの赤字が必要だ。
民間投資を補完する公的投資として有力なのは土木型の公共事業ではなく、社会保障の拡大である。これは非正規労働者の需要を拡大して、需要不足を補う。地球温暖化を防ぐ「グリーン投資」も有力な公的投資の対象だというが、日銀は3%のインフレ目標を設定すべきだという提言はよくわからない。
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だが、何をrと考えるかで不等号の向きが変わる。たとえばピケティはrを資本収益率と考えたので、ほとんどの先進国は動学的に効率的とされたが、政府債務を考えるときは、rは国債金利(から予想インフレ率を引いた金利)と考えたほうがいい。
もう一つの条件は、ゼロ金利制約があるかどうかだ。これがない場合には金融政策で総需要が調節できるが、名目金利がゼロになると金融政策がきかなくなるので、財政・金融政策の有効性について次のような3つの場合が考えられる:
A. r>g>0:動学的に効率的
B. g>r>0:非効率的・低金利
C. g>r=0:非効率的・ゼロ金利制約あり
Aの場合には財政赤字は民間投資をクラウディングアウトして将来世代の所得を減らすので、緊縮財政が望ましい。金利は自由に動かせるので、総需要は金融政策で調節すべきだ。これが標準的なマクロ経済学の想定している環境だが、現在の世界はそれとはほど遠い。
Bの場合はゼロ金利制約はないが、金利が低いため、調整の余地が限られる。このときは動学的に非効率で政府支出は民間投資をクラウディングアウトしないので、政府は失業を減らすために財政赤字を増やすべきだ。これがケインズの想定していた1930年代の状況に近い。
Cの状況では金融政策はきかないので、財政政策が唯一の政策手段となる。財政赤字によるクラウディングアウトは起こらないが、政府債務が発散すると危険なので、総需要拡大と財政の維持可能性のトレードオフが起こる。だが日本のように財政への信頼が強い国では、ゼロ金利制約がなくなる(自然利子率がプラスになる)まで財政赤字を増やす余地がある。
このとき潜在成長率を高めるには、財政支出の社会的収益率が国債金利より高いことが必要条件である。このように私企業にはできない公共的な投資として、ブランシャールは感染症対策や気候変動対策をあげている。
内容は基本的に今までの論文と同じだが、正統派の純粋財政論とラーナーの機能的財政論を同格に扱っているのが印象的である。正統派はラーナー(MMT)を例外を一般化した過ちとみなしがちだが、長期的に動学的に非効率な状態が続くとすると、正統派のほうが例外になるかもしれない。
日本語版への序文では、本書の研究のきっかけは日本の状況を理解することだったと書いている。2000年以降のゼロ金利は、当初は不良債権処理にともなう特殊な現象と思われたが、2008年以降は世界全体の現象になった。
その最大の原因は、慢性的な需要不足で中立金利が実質成長率を下回る傾向が定着したためだ。これは資本収益率が低下したことを示しており、民間投資を公的投資で置き換える機会費用が小さくなった。財政破綻が近づいているという懸念は妥当なものではなく、現在の日本にはプライマリーバランスの赤字が必要だ。
民間投資を補完する公的投資として有力なのは土木型の公共事業ではなく、社会保障の拡大である。これは非正規労働者の需要を拡大して、需要不足を補う。地球温暖化を防ぐ「グリーン投資」も有力な公的投資の対象だというが、日銀は3%のインフレ目標を設定すべきだという提言はよくわからない。
基準は動学的な効率性
最終章のサマリーを自動翻訳で列挙しておこう。- 過去30年間、先進国は慢性的に弱い民間需要に苦しんできた。別の言い方をすれば、強い貯蓄が弱い投資を追い求めてきた。安全資産への需要のシフトも見られる。
- これらの要因が相まって、中立金利 (潜在GDPを維持するために必要な安全金利)が着実に低下している。需要が低く、中立金利が低いこの状態は長期停滞と呼ばれてきた。
- 中立金利が低下するにつれて、2つのしきい値を超えた。最初は成長率よりも小さくなり、その後、有効な下限制約に達することがある。これは、財政政策に2つの大きな意味をもたらした。
- 中立金利が低下し、特に成長率が低下するにつれて債務の財政コストが低下し、重要なことに、債務の効率性コストも低下した。
- 中立金利が実効下限によって示される最低金利に近づくか、それよりも低くなると、金融政策はその操作の余地の多くを失い、マクロ安定化のために財政政策を使用するメリットが増大した。
- 2021年のアメリカの財政刺激策、それに伴う過熱、およびインフレ率の上昇によって、しばらくの間、金利が上昇する可能性がある。ただし過去30年間の実質金利の着実な低下の背後にある要因は依然として存在しており、その後、持続的な低金利に戻る可能性が高い。
- 財政政策への2つのアプローチを考えてみよう。
- 純粋財政論:金融政策が潜在GDPを維持できると仮定し、債務が高すぎると認識された場合は債務削減に焦点を当てる正統派の理論。
- 機能的財政論:金融政策が使えないと仮定し、代わりにマクロ安定化に焦点を当てるラーナーの理論。
- 純粋財政論:金融政策が潜在GDPを維持できると仮定し、債務が高すぎると認識された場合は債務削減に焦点を当てる正統派の理論。
- 適切な財政政策は、民間需要の強さに応じて相対的な重み付けを行い、2つを組み合わせたものである。民間需要が強い場合、財政政策はほぼ純粋財政論に従うことができる。民間需要が弱まるほど、機能的財政論に重きを置くべきだ。
- 適切な政策についてのこの考え方が意味することは単純である。金融政策がGDPを維持するのに十分な余地を与えるために、中立金利が少なくとも実効的な下限制約を合理的なマージンだけ超えるように財政政策を使用する。
- 当面、先進国における債務の持続可能性に対する深刻なリスクはないが、これらのリスクが発生する可能性がある。一方で民間需要が非常に強くなり、中立金利が大幅に上昇した場合、債務返済は増加する。しかし強い民間需要で金融政策の余地が拡大し、生産に悪影響を与えることなく財政健全化できる。
他方、民間需要がさらに弱まると、政府はGDPを維持するために巨額の赤字を余儀なくされ、債務比率が増加して巨額の赤字が出る可能性がある。もしそうなら、深刻な長期停滞に対応する別の方法を考えなければならない。
日本には「財政余地」がある
これはドラフトとおおむね同じで、ここ2年ぐらいのアメリカのインフレ・金利上昇は一時的なものとみている。彼が2つのアプローチをわける基準としているのが、動学的な効率性である。中立金利をr、実質成長率をgとすると、その定義はr>g
だが、何をrと考えるかで不等号の向きが変わる。たとえばピケティはrを資本収益率と考えたので、ほとんどの先進国は動学的に効率的とされたが、政府債務を考えるときは、rは国債金利(から予想インフレ率を引いた金利)と考えたほうがいい。
もう一つの条件は、ゼロ金利制約があるかどうかだ。これがない場合には金融政策で総需要が調節できるが、名目金利がゼロになると金融政策がきかなくなるので、財政・金融政策の有効性について次のような3つの場合が考えられる:
A. r>g>0:動学的に効率的
B. g>r>0:非効率的・低金利
C. g>r=0:非効率的・ゼロ金利制約あり
Aの場合には財政赤字は民間投資をクラウディングアウトして将来世代の所得を減らすので、緊縮財政が望ましい。金利は自由に動かせるので、総需要は金融政策で調節すべきだ。これが標準的なマクロ経済学の想定している環境だが、現在の世界はそれとはほど遠い。
Bの場合はゼロ金利制約はないが、金利が低いため、調整の余地が限られる。このときは動学的に非効率で政府支出は民間投資をクラウディングアウトしないので、政府は失業を減らすために財政赤字を増やすべきだ。これがケインズの想定していた1930年代の状況に近い。
Cの状況では金融政策はきかないので、財政政策が唯一の政策手段となる。財政赤字によるクラウディングアウトは起こらないが、政府債務が発散すると危険なので、総需要拡大と財政の維持可能性のトレードオフが起こる。だが日本のように財政への信頼が強い国では、ゼロ金利制約がなくなる(自然利子率がプラスになる)まで財政赤字を増やす余地がある。
このとき潜在成長率を高めるには、財政支出の社会的収益率が国債金利より高いことが必要条件である。このように私企業にはできない公共的な投資として、ブランシャールは感染症対策や気候変動対策をあげている。
内容は基本的に今までの論文と同じだが、正統派の純粋財政論とラーナーの機能的財政論を同格に扱っているのが印象的である。正統派はラーナー(MMT)を例外を一般化した過ちとみなしがちだが、長期的に動学的に非効率な状態が続くとすると、正統派のほうが例外になるかもしれない。