テレコズム―ブロードバンド革命のビジョン
経済学は稀少な資源の効率的な配分を考える学問だが、ムーアの法則によって計算・記憶能力が事実上「自由財」になったので、こうした過剰な資源をどう利用するかを考える経済学が必要である。

資本主義の前提は、資本が稀少で労働は過剰だということだ。工場を建てて多くの労働者を集める資金をもっているのは限られた資本家だから、資本の稀少性の価格として利潤が生まれる。しかしIT産業では、ムーアの法則によって、1960年代から今日までに計算能力の価格は1億分の1になった。

これは建設に100億円かかった工場が100円で建てられるようになるということだから、工場に労働者を集めるよりも、労働者が各自で「工場」を持って生産する方式が効率的になる。それが現実に起こったことである。

メインフレーム時代には、稀少な計算機資源を割り当てるため、ユーザーはバッチカードを持ってコンピュータの利用時間を待ったが、PCの登場によってボトルネックはユーザーになった。ここでは逆に、ユーザーの稀少な時間を効率的に配分するため、コンピュータは各人に所有され、その大部分は遊んでいる。

ジョージ・ギルダーは「豊かな資源を浪費して不足するものを節約する」という経済原則にもとづいて、トランジスタを浪費する(Carver Mead)ことがマイクロコズム(コンピュータ世界)の鉄則であり、帯域が毎年倍増するという「ギルダーの法則」によって、帯域を浪費することがテレコズム(通信世界)の鉄則になると予言した。

この予言を信じて、ノーテルやルーセントは光ファイバーに巨額の投資を行い、JDSユニフェーズの株価は天文学的な額になったが、テレコズムの楽園は実現せず、ITバブルは崩壊した。それはなぜだろうか。

稀少な関心がボトルネックになる

それは最後の1マイルという稀少性が解決しなかったからである。中継線が光ファイバーになっても、家庭に入る加入者線は昔のままだった。すべての資源が自由財になることがありえない以上、ある資源が過剰になれば、必ず別の資源が相対的にボトルネックになるから、やはり重要なのは過剰な資源ではなく稀少な資源なのだ。

この最後の1マイルの問題は、今では携帯電話で解決されたが、そのとき稀少になるのは帯域ではなく、人々の関心である。ハーバート・サイモン(1971)の有名な言葉を引用すると、
情報の豊かさは、それがそれが消費するものの稀少性を意味する。情報が消費するものは、かなり明白である。それは情報を受け取る人の関心を消費するのである。したがって情報の豊かさは関心の稀少性を作り出し、それを消費する膨大な情報源に対して関心を効率的に配分する必要が生じる。

つまり情報生産においては、資本主義の法則が逆転し、個人の関心(時間コスト)を効率的に配分するテクノロジーがもっとも重要になったのである。だからユーザーが情報を検索する時間を節約するグーグルが、その中心に位置することは偶然ではない。

資本主義社会では、稀少な物的資源を利用する権利(財産権)に価格がつくが、情報社会では膨大な情報の中から特定の情報に稀少な関心を引きつける権利(ネット広告)に価格がつく。

20世紀の大衆消費社会では、こういう関心の配分は大して重要な問題ではなかった。規格化された商品を大量生産・大量消費するには、マスメディアで一律の情報を一方的に流せばよかったからだ。

しかしロングテール現象が示すように、人々の真の選好は想像されていた以上に多様で変わりやすく、そこから利益を得る技術はまだほとんど開発されていない。マーケティングというのは、ハイテクとは無縁のドブ板営業だと思われてきたが、これを合理化することが今後のITのフロンティアの一つになろう。