相互扶助の経済――無尽講・報徳の民衆思想史【新装版】
1990年代に不良債権問題を取材したとき、銀行員から「日本の銀行は金融機関というより頼母子講みたいなものだ」という嘆きを聞いた。メインバンクと呼ばれるしくみも、契約では規定されていない。その融資先が経営破綻したら、メインの債権が劣後するというルールも明文で決まってはいなかった。

頼母子講のような相互扶助の金融システムは、今も残っている。1889年に創業された日本生命は、今も相互会社である。その決定権者は株主ではなく保険契約者(社員と呼ばれる)で、最高意思決定機関は株主総会ではなく、社員の集まる「総代会」である。

いま第二地銀と呼ばれる相互銀行は、中世以降に無尽として創業されたものが多い。これは頼母子講と同じだが、無尽というのは仏教用語で「村社会」という意味である。飢饉のとき貸し付けるために村人が資金を出し合い、「親」がそれを預かる。

飢饉や災害で困った人が出ると、親が貸し付けるが、金利は取らない。何も起こらなかった年には資金が余るので、抽選や入札で余剰資金を配当する。集団の富は蕩尽され、蓄積されない。これは剰余を蓄積する資本主義とは違うが、世界に普遍的なものである。

続きは2月20日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)