週刊東洋経済に載った白川前日銀総裁の寄稿が話題を呼んでいる。著書『中央銀行』では控えていた黒田日銀の評価が、慎重に言葉を選んで語られるが、ひとことでいうと、量的緩和は有害無益だったということだ。

物価目標未達の理由として、今日、消費税増税の影響や「適合的物価予想」が指摘されることが多いが、最終的に物価を決めるのはマネタリーベースであり(リフレ派)、中央銀行の期待への働きかけであるはずだった(期待派)。最近は物価を決めるのは賃金だという議論が有力になっている。[…]「デフレは貨幣的現象」の議論はどこに消えたのかという思いは禁じえない。

これは量的緩和の失敗を消費増税のせいにするリフレ派への皮肉である。彼らは2014年の3%増税だけで日本経済が失速し、量的緩和の効果が台なしになったというが、消費需要が足りなくなったら、日銀がもっとマネタリーベースを出せばいいのではないか。

それとは別に期待派と書かれているのが黒田総裁である。これはリフレ派の素朴な貨幣数量説とは違い、主流派のニューケインジアン理論である。ここではt期の物価上昇率Ptは次のようになる:

 Pt=αPet+1+βYt

ここでα、βは定数、Pet+1はt+1期の予想物価上昇率、Ytはt期のGDPギャップだが、ここで重要な条件は、Peが物価上昇率についてのforward-lookingな予想だということである。

合理的個人の代表として日銀総裁が永遠の将来にわたるインフレを予想すれば、それに従ってPtが決まる。これが黒田総裁の「ピーターパン理論」だが、これも反証された。国民の7割はインフレ目標さえ知らなかったからだ。

「金融緩和頼み」が停滞をまねいた

金融政策で成長できないのは自明だが、10年前には「デフレを脱却すれば成長できる」といった議論が横行した。特に強硬だったのは民主党で、リフレに批判的な審議委員の同意人事を否決し、インフレ目標を設定しろと日銀に迫った。

政府と日銀の「共同声明」が結ばれたのは、安倍政権になった2013年1月だが、民主党もそれに全面的に賛成した。黒田日銀の最大の罪は、こういう風潮に乗って極端な量的緩和を続け、マクロ経済政策で成長が実現できるという幻想を植えつけたことだ。
「共同声明」には明示的に書かれていないが、今後を考えるうえで、社会が長期にわたって金融緩和頼みとなるのを防ぐメカニズムやロジックをどのようにして構築するかという視点は極めて重要である。

量的緩和政策については、この政策が始まって間もない02年の時点で、故小宮隆太郎・東京大学名誉教授は「微害微益」と評した。その時点ではこれは適切な評価だったが、量的緩和政策を含めて非伝統的金融政策が20年以上にもわたって続くと、もはや微害とは言えなくなっている。

リフレ派は死滅したが、彼らは「消費増税が悪い」と言い訳してMMTに転向し、「金融緩和頼み」の代わりに「財政バラマキ頼み」になった。

彼のゼミの指導教官だった浜田宏一氏は、最近はMMTに転向して「デフレを脱却できなかったのは日銀のせいだ」という議論を繰り返しているが、白川氏はそれを念頭に置いて、次のようにいう。
デフレという言葉が使われるのは、多くの場合もっと漠然とした意味合いであり、「低成長が長年続いたことで人々の生活も苦しい」といった内容のことを言っているように思う。その意味では目くじらを立てる話ではないかもしれないが、デフレという曖昧な言葉を使うことによって、真の問題の所在に関する認識が曇り社会の改革エネルギーが高まらないという悪影響は無視できないように思う。

これが量的緩和の最大の弊害だ、というのが彼の認識である。その意味では、次の日銀総裁が長期金利だけでなく政策金利も上げて金融市場を機能させ、撤退すべき企業を撤退させることが、一つの出発点だろう。