また一部でベーシックインカムが話題になっているので、前に原著で紹介した本の訳書を紹介しよう。BIは経済学ではおなじみだが、著者は政治学者で、所得というより自由時間の問題と考えている。
最初に掲げられている「カネをもつことは自由の手段だが、それを稼ぐのは奴隷になることだ」というルソーの言葉のように、所得を「自由」の尺度、労働を「不自由」の尺度と考えると、人生は自由時間の最適化と考えることもできる。
たとえば8時間働いて8時間休息するより、生活に必要なものが4時間でできるなら、12時間休息したほうが自由時間は増える。歴史上の多くの社会では、人々はこのように労働時間を配分してきた。石器時代の人々が苛酷な長時間労働をしたというのは神話で、人々の平均労働時間は3~4時間だったと推定される。
ところが資本主義社会で人々は、自由時間を最適化する水準を超えて資本を蓄積するようになった。その結果、何億ドル資産があっても使い切れず、ビル・ゲイツは全財産の95%を財団に使うと表明しているが、それなら最初から5%働けばよかったのだ。
たとえば80万円のBIを給付して一律20%の所得税をかけるのと、課税最低限(この場合は400万円)以下の所得に差額を給付するのは同じである。
実際にはBIはそれほど革命的ではなく、たとえば最低保障年金のように年金だけをBIに置き換えることも可能だ。財務省が提案した給付つき税額控除(EITC)は、定額の一括給付である。
BIの最大の(ほとんど唯一の)問題は財源である。たとえば1人年額80万円としても、1億2000万人すべてに配るには約100兆円が必要になる。これを既存の社会保障に上乗せすると、一般会計予算が2倍になるので、既存の社会保障を置き換える必要がある。
財源としては、社会保険料の代わりに税を考える。NITは所得税を想定しているが、2008年にアメリカ大統領選挙で共和党のハッカビーが提案したのは、BIの財源を連邦消費税(VAT)に求める税制改革だった。これは最低保障年金が消費税を財源にするのと似ている。
ただ日本では、既存の公的年金をすべてBIに置き換えることはできない。年金受給権には財産権が発生しており、この問題では違憲訴訟が多数起こされている。減額は可能でも年金制度の廃止は不可能なので、その既得権を守ることが絶対条件である。これが意外に難問で、最低保障年金のように基礎年金の支給額を守るなら憲法問題はクリアできるが、全世代の所得を保障することはできない。
BIのような非裁量的な直接給付を行うには、それ以外の裁量的な補助金や社会保障を全廃する必要があり、維新が提案している大学の無償化などは相容れない。BIは「福祉国家」を否定して政府の裁量的な再分配を否定するラディカルな「新自由主義」だから、政治的には不可能だが、ベンチマークとしては今も議論に値する。
最初に掲げられている「カネをもつことは自由の手段だが、それを稼ぐのは奴隷になることだ」というルソーの言葉のように、所得を「自由」の尺度、労働を「不自由」の尺度と考えると、人生は自由時間の最適化と考えることもできる。
たとえば8時間働いて8時間休息するより、生活に必要なものが4時間でできるなら、12時間休息したほうが自由時間は増える。歴史上の多くの社会では、人々はこのように労働時間を配分してきた。石器時代の人々が苛酷な長時間労働をしたというのは神話で、人々の平均労働時間は3~4時間だったと推定される。
ところが資本主義社会で人々は、自由時間を最適化する水準を超えて資本を蓄積するようになった。その結果、何億ドル資産があっても使い切れず、ビル・ゲイツは全財産の95%を財団に使うと表明しているが、それなら最初から5%働けばよかったのだ。
巨額の財源をどうするか
BIの提案は昔からあり、1950年代にティンバーゲンなどが提案したが、同じころスティグラーやフリードマンが負の所得税(NIT)を提案した。これは思想は反対だが、結果としてはBIと同じである。BIは定額の給付金を配った所得に所得税を課税するが、NITは所得税を課税するとき低所得者に定額を給付する。たとえば80万円のBIを給付して一律20%の所得税をかけるのと、課税最低限(この場合は400万円)以下の所得に差額を給付するのは同じである。
実際にはBIはそれほど革命的ではなく、たとえば最低保障年金のように年金だけをBIに置き換えることも可能だ。財務省が提案した給付つき税額控除(EITC)は、定額の一括給付である。
BIの最大の(ほとんど唯一の)問題は財源である。たとえば1人年額80万円としても、1億2000万人すべてに配るには約100兆円が必要になる。これを既存の社会保障に上乗せすると、一般会計予算が2倍になるので、既存の社会保障を置き換える必要がある。
財源としては、社会保険料の代わりに税を考える。NITは所得税を想定しているが、2008年にアメリカ大統領選挙で共和党のハッカビーが提案したのは、BIの財源を連邦消費税(VAT)に求める税制改革だった。これは最低保障年金が消費税を財源にするのと似ている。
BIは「新自由主義」である
BIは老人に片寄った自由時間をすべての世代に広げ、労働という不自由を減らすものだから、老人が独占している自由時間を再分配するワーク・シェアリングの一種ともいえる。したがって財源としては(老人の退蔵している)資産課税が望ましいが、これは資本逃避が起こるので、本書はVATのようなキャッシュフロー課税を提言している。ただ日本では、既存の公的年金をすべてBIに置き換えることはできない。年金受給権には財産権が発生しており、この問題では違憲訴訟が多数起こされている。減額は可能でも年金制度の廃止は不可能なので、その既得権を守ることが絶対条件である。これが意外に難問で、最低保障年金のように基礎年金の支給額を守るなら憲法問題はクリアできるが、全世代の所得を保障することはできない。
BIのような非裁量的な直接給付を行うには、それ以外の裁量的な補助金や社会保障を全廃する必要があり、維新が提案している大学の無償化などは相容れない。BIは「福祉国家」を否定して政府の裁量的な再分配を否定するラディカルな「新自由主義」だから、政治的には不可能だが、ベンチマークとしては今も議論に値する。