政府と日銀が「2%のインフレ目標」を決めた2013年のアコードを改正する方向で検討しているようだ。
これはテクニカルな話のようにみえるが、アベノミクスを否定する10年ぶりの大改革である。その内容はまだわからないが、私が2年前に紹介したWoodford-Xieの理論と似ている。
この論文はむずかしいが、結論をざっくりいうと、低インフレ・ゼロ金利の時代には、中央銀行が通貨供給でインフレを防ぐフリードマン以来の金融政策は無意味で、その主要な役割は財政ファイナンスのコントロールになったので、インフレ目標から金利目標に変えるべきだということだ。
これはアコードだけではなく、日銀の独立を定めた日銀法や、国債の日銀引き受けを禁止する財政法など、経済政策の「戦後レジーム」を否定する改革になるかもしれない。
安倍首相はデフレ脱却が不況からの脱却だと考え、黒田総裁を指名してインフレ目標2%のアコードを結んだが、それは10年近くたっても解除できない。コアCPIは3.6%になったが、黒田総裁は「安定的に2%」になるまで、ゼロ金利を変えないという。
インフレをコントロールするという日銀の役割は無意味になり、国債を買い取って政府債務をコントロールする財政ファイナンス(マネタイゼーション)が日銀のコアの役割になった。YCCは筋の悪い政策だが、政府債務をコントロールする上では有効である。
政府債務としては、日銀券(残高120兆円)より国債(1000兆円)のほうがはるかに大きいので、政策金利(短期金利)より国債の長期金利のほうが重要だ。今のようにゼロ金利に固定すると円安などの副作用があるが、急に上げると国債が暴落し、金融危機が起こる。
財政均衡が「未来の世代に対する責任」だという中立命題は、すべての個人が無限の将来までの財政収支を考えた場合の話だ。Woodford-Xieも示したように、個人の時間視野が財政収支計画より短い場合には国営ネズミ講が可能になる。
もちろんネズミ講はいつか終わるが、100年後なら実害はない。大災害や戦争で金利が上がって財政が破綻するテールリスクはゼロではないが、それを心配して今の需要不足を放置するのは、不合理なゼロリスクである。
日本では1998年に日銀が独立性を与えられて金利をコントロールしたが、2000年代以降はゼロ金利だったので、インフレ目標は無意味だった。それでも一部の政治家がうるさいので、白川総裁が2012年に「中長期的な物価安定の理解」を示したが、インフレ率はずっとゼロ前後だった。
これを明確なインフレ目標にしたのが2013年のアコードで、このとき黒田総裁が「2年でマネタリーベースを2倍にしてインフレ率2%を実現する」と宣言したが、インフレは起こらなかった。それでも引っ込みがつかず、形骸化したインフレ目標を掲げたまま、今日に至っている。
今は2%を超えるインフレになったので、本来はYCCをやめるときだが、急にやめると長期金利が上がって危険だ。日銀の保有国債を永久債に切り替え、バランスシートから落とすことも一案だ。このときインフレが起こるおそれがあるので金利を固定し、一時的にはインフレのオーバーシュートを容認するのがWoodford-Xieの理論である。
ただゼロ金利をながく続けるのは不健全だから、ゆるやかにYCCを緩和し、インフレ率がピークアウトしたら解除するとか、あらためて「中長期的な金利と物価の理解」を示してはどうだろうか。
2%物価目標の柔軟化検討 - 政府日銀、初の共同声明改定へhttps://t.co/AQJ8rrPZOQ
— 共同通信公式 (@kyodo_official) December 17, 2022
これはテクニカルな話のようにみえるが、アベノミクスを否定する10年ぶりの大改革である。その内容はまだわからないが、私が2年前に紹介したWoodford-Xieの理論と似ている。
この論文はむずかしいが、結論をざっくりいうと、低インフレ・ゼロ金利の時代には、中央銀行が通貨供給でインフレを防ぐフリードマン以来の金融政策は無意味で、その主要な役割は財政ファイナンスのコントロールになったので、インフレ目標から金利目標に変えるべきだということだ。
これはアコードだけではなく、日銀の独立を定めた日銀法や、国債の日銀引き受けを禁止する財政法など、経済政策の「戦後レジーム」を否定する改革になるかもしれない。
インフレ目標は空振りだった
均衡財政が原則で金利もインフレ率も5~10%だった時代とは違い、1990年代以降は、ゼロ金利・デフレになり、各国で財政赤字が積み上がった。各国政府はインフレを恐れ、中央銀行の独立性を守ったが、2000年代以降の日本で起こったのはデフレだった。安倍首相はデフレ脱却が不況からの脱却だと考え、黒田総裁を指名してインフレ目標2%のアコードを結んだが、それは10年近くたっても解除できない。コアCPIは3.6%になったが、黒田総裁は「安定的に2%」になるまで、ゼロ金利を変えないという。
インフレをコントロールするという日銀の役割は無意味になり、国債を買い取って政府債務をコントロールする財政ファイナンス(マネタイゼーション)が日銀のコアの役割になった。YCCは筋の悪い政策だが、政府債務をコントロールする上では有効である。
政府債務としては、日銀券(残高120兆円)より国債(1000兆円)のほうがはるかに大きいので、政策金利(短期金利)より国債の長期金利のほうが重要だ。今のようにゼロ金利に固定すると円安などの副作用があるが、急に上げると国債が暴落し、金融危機が起こる。
財政均衡が「未来の世代に対する責任」だという中立命題は、すべての個人が無限の将来までの財政収支を考えた場合の話だ。Woodford-Xieも示したように、個人の時間視野が財政収支計画より短い場合には国営ネズミ講が可能になる。
もちろんネズミ講はいつか終わるが、100年後なら実害はない。大災害や戦争で金利が上がって財政が破綻するテールリスクはゼロではないが、それを心配して今の需要不足を放置するのは、不合理なゼロリスクである。
ゆるやかな金利目標で量的緩和からの出口を
インフレ目標に理論的根拠はない。フリードマンの提案したのはマネーサプライを一定率で増やすk%ルールで、彼はインフレ目標には裁量的になるとして否定的だった。実際に1980年以降のアメリカで採用されたのはインフレ目標だったが、これでスタグフレーションは鎮静したので、1990年代から各国の中央銀行がインフレ目標を採用した。日本では1998年に日銀が独立性を与えられて金利をコントロールしたが、2000年代以降はゼロ金利だったので、インフレ目標は無意味だった。それでも一部の政治家がうるさいので、白川総裁が2012年に「中長期的な物価安定の理解」を示したが、インフレ率はずっとゼロ前後だった。
これを明確なインフレ目標にしたのが2013年のアコードで、このとき黒田総裁が「2年でマネタリーベースを2倍にしてインフレ率2%を実現する」と宣言したが、インフレは起こらなかった。それでも引っ込みがつかず、形骸化したインフレ目標を掲げたまま、今日に至っている。
今は2%を超えるインフレになったので、本来はYCCをやめるときだが、急にやめると長期金利が上がって危険だ。日銀の保有国債を永久債に切り替え、バランスシートから落とすことも一案だ。このときインフレが起こるおそれがあるので金利を固定し、一時的にはインフレのオーバーシュートを容認するのがWoodford-Xieの理論である。
ただゼロ金利をながく続けるのは不健全だから、ゆるやかにYCCを緩和し、インフレ率がピークアウトしたら解除するとか、あらためて「中長期的な金利と物価の理解」を示してはどうだろうか。

