防衛費をめぐって自民党内で対立が続いているが、防衛増税に賛成するのは党税調のインナーだけで、国防族は大反対である。これは「赤字国債の禁止」という原則論で予算を抑制しようとする財務省と防衛省の戦いだが、税か国債かという議論には意味がない。政府債務として国債(それも赤字国債)だけを問題にするのは時代遅れである。

「国債残高が1000兆円で大変だ」というが、「日銀券の発行残高が120兆円で大変だ」という人はいない。日銀券は返済する必要がなく、金利もつかないからだ。政府の本源的な財源は税しかないと思われているが、国債の償還を無期延期できるなら国債も財源である。その残高は日銀券よりはるかに多いので、統合政府を考えると日銀券より国債のほうが重要だ。

日本は税を財源とする租税国家から、国債を財源とする債務国家に変わったので、狭義のマネーだけを扱う日銀は無力である。政府が国債を無利子の永久債で借り替え、日銀がすべて買い取れば、問題はなくなる。MMT派のビル・ミッチェルは、こう断言する。
MMTは政府の予算制約(Government Budget Constraint)では始まらない。我々はその概念を明らかに拒絶している。[…]政府の購入能力は金融的に無限である

MMTでは金利は永久にゼロなので、国債は日銀券と同じである。政府=日銀はいくらでも通貨を発行できるので、政府支出はすべて国債=日銀券でまかなえばいい。日本のなんちゃってMMTは「税は財源ではない」などと言っているが、コアのMMTにとってはそもそも税は必要ない。政府に予算制約はないので、財政をすべて借金でまかなって返済を永久に先送りする無税国家が可能なのだ。

無税国家は無限に腐敗する

MMTの無税国家は、コルナイの描いた初期の社会主義に似ている。そこではモノバンクと呼ばれる一つの国営銀行がすべての企業に資金を供給したので、決済機能がなかった。企業の経営が悪化すると、モノバンクは際限なく融資し、その資金を返済する義務もなかった。政府が価格統制したので、インフレも起こらなかったが、経済は破綻した。

その原因は、いくら赤字を出しても決済が際限なく延期されるので、銀行が国営ネズミ講になったからだ。つぶれるかつぶれないかを決めるのはモノバンクの官僚なので、企業にとっては生産の効率化よりロビー活動が死命を制する。このような予算制約の欠如(soft budget constraint)が、社会主義の本質的な欠陥だった。

政府が資源配分を決め、企業はそれに従う。製品が売れなくても、企業は政府の命令に従っていれば資金が供給されるので、製品は改良されない。需要が供給を上回っても価格を上げないで資源を割り当てるので、インフレは起こらないが、慢性的な物不足が起こる。

結果的には社会全体で巨大な資源配分のゆがみが発生するが、それが企業の破綻という形で顕在化しないので、非効率性が蓄積し、官僚の腐敗が拡大し、国が腐ってゆく。それが社会主義の歴史が70年かかって示したことだ。

このような非効率性は、短期的には見えにくい。個々の企業を救済することは、そのときだけみれば事後的にはパレート効率的になることが多いからである。政府に予算制約がなければ、ネズミ講は無限に続けることができ、既存の借金が既得権になるので、後戻りできなくなる。

政府債務の本質的な問題は、短期的な金利上昇やインフレではない。そういう問題はマクロ経済学で答が出ており、時間をかければ解決できる。最大の問題は、このように予算制約が失わると、政府支出が政治化し、国が腐ることである。その弊害は、コロナ補助金100兆円をみただけでわかる。

この問題は、防衛費より社会保障のほうがはるかに深刻である。防衛費のような裁量的支出はすべて一般会計で計上され、国会でも審議されるが、社会保障のようなエンタイトルメントは経常的な支出になり、国会で審議もされない。社会保障会計には1600兆円以上の簿外債務があるが、それを誰がどう負担するかも決まっていない。

これも一般会計で埋めて日銀がマネタイズすれば、財政が破綻することはないが、国民負担率は60%を超え、可処分所得は絶対的に下がる。無限に予算制約を先送りする無税国家は無限に劣化し、国民を無限に貧困化するのだ。