日本古代史の大きな謎は、古墳である。全国に15万もあり、最大の大仙古墳(いわゆる仁徳天皇陵)は、全長486メートル。建設には20年かかり、当時のGDPの半分が費やされたともいわれる。
この巨大な墓に実用的な意味はまったくないが、3世紀に農耕が大規模化し、階層分化が起こった時期に生まれたので、豪族の権威を示すために巨大な陵墓がつくられたものと思われる。これを「**天皇陵」と呼ぶのは根拠がなく、大仙古墳がつくられた5世紀前半には、まだ各地に地方国家が分散していた。

大仙古墳(大阪府観光局)
地方豪族の競争の中から、国家を代表する「倭王」と呼ばれる王が出てきて、その権威を誇示するために大きな墓をつくったものと思われる。ところが国家が統一されて倭王の権威が高まった5世紀後半から、古墳は縮小し、普通の墓になってしまう。それはなぜだろうか。
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この巨大な墓に実用的な意味はまったくないが、3世紀に農耕が大規模化し、階層分化が起こった時期に生まれたので、豪族の権威を示すために巨大な陵墓がつくられたものと思われる。これを「**天皇陵」と呼ぶのは根拠がなく、大仙古墳がつくられた5世紀前半には、まだ各地に地方国家が分散していた。

大仙古墳(大阪府観光局)
地方豪族の競争の中から、国家を代表する「倭王」と呼ばれる王が出てきて、その権威を誇示するために大きな墓をつくったものと思われる。ところが国家が統一されて倭王の権威が高まった5世紀後半から、古墳は縮小し、普通の墓になってしまう。それはなぜだろうか。
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