近代デモクラシーの歴史は短く、合衆国憲法までさかのぼっても、230年あまりの歴史しかない。それと古代ギリシャのデモクラシーにはほとんど共通点がないが、一つあげられるのは、それがエスニックな共同体だということだ。
古代アテネで民会に参加できたのはアテネ市民だけで、外国人や奴隷は除外されていた。アメリカ独立宣言は「すべての人間は平等につくられている」と宣言したが、合衆国憲法では、先住民と黒人奴隷は「人間」から除外されていた。
大英帝国が世界を支配したときも、イギリス国民には同じ権利があったが、植民地の住民は同じ人間とはみなさなかった。この二重構造が、大英帝国の世界支配を可能にした。合衆国憲法はそれをまねたもので、英米型デモクラシーは白人の平等主義だったのだ。
この構造は20世紀前半まで続いたが、戦後のアメリカでは大きな変化が起こった。一つは高等教育の普及によって上昇する白人と没落する白人が分化したこと、もう一つは公民権運動などで黒人の地位が上昇し、白人と競合する労働者になったことだ。それを決定的にしたのが、1990年代以降のグローバリゼーションだった。
続きは11月28日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)
古代アテネで民会に参加できたのはアテネ市民だけで、外国人や奴隷は除外されていた。アメリカ独立宣言は「すべての人間は平等につくられている」と宣言したが、合衆国憲法では、先住民と黒人奴隷は「人間」から除外されていた。
大英帝国が世界を支配したときも、イギリス国民には同じ権利があったが、植民地の住民は同じ人間とはみなさなかった。この二重構造が、大英帝国の世界支配を可能にした。合衆国憲法はそれをまねたもので、英米型デモクラシーは白人の平等主義だったのだ。
この構造は20世紀前半まで続いたが、戦後のアメリカでは大きな変化が起こった。一つは高等教育の普及によって上昇する白人と没落する白人が分化したこと、もう一つは公民権運動などで黒人の地位が上昇し、白人と競合する労働者になったことだ。それを決定的にしたのが、1990年代以降のグローバリゼーションだった。
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