呪われた部分 (ちくま学芸文庫)
岸田首相の「新しい資本主義」から斎藤幸平氏の「脱成長」に至るまで、資本主義を敵視する人は多いが、そのほとんどは19世紀的な温情主義で、思想としては取るに足りない。資本主義が剰余を生み出して共同体を破壊するメカニズムを原理的に批判したのはバタイユである。

マルクスは剰余を生み出す労働者を資本家が搾取すると考えたが、バタイユは人間はもととも消費する以上の剰余を生産する能力をもっていたと指摘する。狩猟採集社会では、1日4時間ぐらい働いたら生活できる程度の獲物がとれたが、獲物は貯蔵できないので、人々はそれ以上働かなかった。

人間が定住して農業を営むようになると、穀物は貯蔵できるので剰余が生まれ、不平等が発生した。それを防ぐには、剰余をすべて消費する必要がある。バタイユは、北米の先住民がその財産を使い果たすポトラッチを、剰余を蕩尽するしくみだと考えた。一部の人に富が偏在すると、その分配をめぐって紛争が発生するので、全財産を村中に贈与して秩序を維持するシステムを人類は構築してきたのだ。

しかし産業革命以後の資本主義は、爆発的なスピードで剰余を作り出し、不平等を生み出し、共同体を破壊した。その剰余(利潤)を社会に還元するしくみが市場だが、剰余はしばしば市場で処理できる限度を超えて蓄積されるので、それを定期的に破壊するシステムが必要になった。それが恐慌であり、戦争である。

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