古代ギリシアの民主政 (岩波新書 新赤版 1943)
デモクラシーは二重に誤解されている。その語源は古代ギリシャ語のdemos(民衆)とkratia(権力)だから、日本語としては「民衆支配」ぐらいだが、GHQが「民主主義」という理想として広めたので、日本では無条件の善だと思われている。

しかし古代ギリシャのdemocracyは衆愚政治という意味で、プラトンもアリストテレスも否定的な意味でしか使っていない。これは18世紀まで同じで、フランス革命の理念は「自由・平等・博愛」であって、デモクラシーではなかった。合衆国憲法には「人民主権」という規定はなく、大衆が政治を直接支配しないように周到に設計された。

デモクラシーという言葉が肯定的に使われるようになるのは、第1次大戦後である。ドイツで世界初の普通選挙を定めたワイマール憲法ができ、冷戦時代には、政治的自由のない社会主義に対して「民主主義」の価値が強調されたが、これは対立概念になっていない。個人の自由を尊重するのは「自由主義」である。

本書はそういう誤解を離れ、歴史的に存在した古代ギリシャのデモクラシーを実証的に再現したものだが、それは次のような点で現代の民主主義とはまったく違う。
  • アゴラで行われた民会に集まったのは市民の代表ではなく(女性と外国人と奴隷を除く)市民全員である。
  • ポリスに市長のような代表は存在せず、投票は選挙ではなく意思決定の手段である。
  • 行政を執行する評議会や裁判を行う裁判官は、市民の中から抽選で選ばれる。
特徴的なのは、すべてのポリスに一貫して代表がいない(バタイユのいう)無頭性である。僭主になりそうな人物は、陶片追放(オストラシズム)で追い出した。この「順繰りに支配し支配される」当番制は、議会制民主主義より(本書も指摘するように)日本の村の「寄り合い」に近い。

古代以来の「無頭性」の伝統

将軍は選挙制だったので、軍隊には指揮系統があったが、たかだか数万人のポリスは、アレクサンダー大王の率いるマケドニアの大軍との戦争には勝てなかった。それでも紀元前100年ごろまでデモクラシーは続き、ギリシャ人はその伝統を大事にしている。

古代ローマにも「共和政」はあったが、すべての民衆に選挙権を与える「民主政」は、フランス革命以降である。それは古代ギリシャのデモクラシーとはことなり、代表制によるものだ。ここでは民衆が意思決定することはなく、代表を選出するだけだ。

もちろん全市民が集まって意思決定するデモクラシーは現代では不可能だが、それを「民主主義」とか「国民主権」と呼ぶのも欺瞞である。現実には一般の有権者ができる政治的決定は何もないので、政策を勉強するインセンティブもない。

古代ギリシャのデモクラシーが機能したのは、民会に参加する市民が歩兵だったからである。その大部分は字も書けない無産階級だったが、自分の投票で自分が戦争に行くかどうかが決まるので、真剣に論争が行われた。

近代の民主主義の原理が代表制だとすれば、古代ギリシャのデモクラシーの原理はわかちあうことだと本書はいう。それはポリスの存続のコストを全市民でシェアする思想であり、古代の共同体には普遍的だった。

そのとき強い指導者が自分たちを望まぬ戦争に引きずり込むことも阻止するのが無頭性である。日本ではそれが早くから天皇制という形で完成したが、近代ヨーロッパでは共和制として実現し、イギリスでは立憲君主制になった。

これは一種のアナーキズムともいえるが、アナーキーという言葉の語源も古代ギリシャの「アルコン(執政官)の不在」である。そういう無頭性は、現代の日本人にも受け継がれる文化遺伝子なのかもしれない。