ヒトは〈家畜化〉して進化した―私たちはなぜ寛容で残酷な生き物になったのか
文化が進化するという考え方は新しくない。それはドーキンスがミーム(文化遺伝子)と名づけたが、その進化のメカニズムは、遺伝とはまったく違う学習によるものだと思われていた。しかし最近の人類学では、遺伝と文化の共進化の証拠が多く見つかっている。

たとえばヘンリックも指摘するように、人間の歯(特に犬歯)は類人猿に比べると退化し、消化器が短くなっている。これは火を使うようになり、硬い肉を焼いて柔らかくして食うことができるようになったためだ。文化(料理)の発達によって身体(犬歯)が退化し、肉を食いちぎる代わりに技術を学習する能力が発達したのだ。

同じような進化が、脳にも起こる。犬は人間が狼を飼い慣らして家畜にしたのではなく、氷河期に狼から分化した。犬が家畜化したのは、そのほうが生存競争で有利だったからだ。狼は狩猟で絶滅に瀕しているが、犬は家畜になって繁殖した。

ホモ・サピエンスがネアンデルタール人との競争に勝った原因も「家畜的」だったためと考えられる。それによって共同作業が容易になり、それに適応した友好的な個体が多くの子孫を残し、人間は自己家畜化してコミュニティを形成するようになったのだ。これは単なる文化の蓄積ではなく、脳の遺伝的な進化である。

縄文時代から家畜的な日本人

脳の大きさやニューロンの密度などの個体としての機能をみると、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人はあまり変わらないが、ネアンデルタール人には、住居などの集団生活の痕跡が見当たらない。その違いは遅くとも8万年前に起こり、自己家畜化が両者の進化をわけた可能性が高い。

言葉を話す身体的な能力はネアンデルタール人も持っていたと思われるが、集団行動ができなかったので、ホモ・サピエンスとの戦いでは勝てなかっただろう。それに対してホモ・サピエンスの集団の中では家畜的な個体が繁殖し、結束の強い集団が生き残った。

このような文化的進化は、それほど長い時間を必要としない。犬の品種改良が数世代でできるように、環境の淘汰圧が強ければ、それに適した個体が生き残る。特に戦争は強力な淘汰圧になるので、家畜化できない集団は淘汰される。社会生活を通じて、人間は自分を品種改良してきたのだ。

これを安易に現代の生活に結びつけるのは危険だが、本書はアメリカ人が400年余りの歴史の中で、人種的偏見を進化させた可能性があるという。家畜化した人間は他の集団に対しては凶暴になるので、現代のアメリカのような荒廃した社会ができてしまう。

日本人は「純粋家畜民族」

自己家畜化仮説がもっとも当てはまるのは、日本人だろう。縄文時代には、同じ集落で1000年以上も同じ人々が共同生活し、戦争も起こらなかった。これは農耕がなかったためだが、おかげで人々は国家や階級をきらい、平等主義で平和主義だ。

東アジアの端っこで植民地にもならなかったため、それは文化的進化の管理された実験に近い。三内丸山遺跡はエジプト文明と同じころできたが、1700年間同じ場所に住んでも、ピラミッドのような構造物はできなかった。

その後も日本は日本語という難解な言葉の壁に守られ、純粋培養された「家畜民族」である。強いリーダーをきらい、君主を古代から「天皇」として形骸化し、絶対君主になりそうな後醍醐天皇や足利義満や織田信長のようなリーダーは失脚した。最長の政権を維持したのは、徳川幕府のような分散的な権力だった。

安倍首相の暗殺後の日本人の異常な反応をみると、強力なリーダーを拒否する家畜的な文化遺伝子が活性化したのかもしれない。それは平和を守る上ではいいのだが、戦争には弱い。アメリカという飼い主がいなくなると、家畜は自分だけで生きていくことはできないだろう。