安倍元首相の外交的な業績は立派だが、経済政策は落第点である。その証拠は、本書も指摘するように、安倍政権のもとで潜在成長率が低下を続け、ほぼゼロになったことだ。その主な原因は、次のようなものである。
著者はこれを主流派経済学の立場から批判するが、主流派にも問題があったという。彼らは財政破綻のリスクを過大評価し、需要不足を一過性の問題と考えたが、それは誤りだった。ブランシャールも指摘したように長期金利<名目成長率という状況が続くと、ISバランスの不均衡は埋まらない。需要不足は長期の問題なのだ。
だから一定の財政赤字が必要だが、問題はそれをどう使うかである。大企業は海外投資で利益を上げたが、国内に取り残されたゾンビ企業(利益で金利の払えない中小企業)は経営が悪化した。その金利負担を軽減し、補助金で延命する弱者救済が、アベノミクスの実態だった。
主流派経済学では、裁量的な財政支出は資源配分をゆがめ、政治的なバイアスが大きいので、やめるべきだと考える。ケインズは1930年代の大恐慌のとき財政支出を提案したが、それはあくまでも一時的な緊急避難という位置づけだった。
しかし21世紀に、財政赤字の意味は変わった。特に日本では社会保障支出が激増したのに対して、消費税の増税に失敗したため、国債を増発して政府債務が膨張した。2000年代以降の自公政権は、これを社会保険料の引き上げで埋めたため、サラリーマンの負担が大きくなり、可処分所得が下がった。
おまけにその半分は事業主負担で、消費税は輸出したときは還付されるが、社会保険料は還付されない。このため企業は社会保険料のかからない非正規労働者を雇う傾向が強まる。この結果、全額自己負担の国民年金や国民健保の未納が増え、4割が未納という状況になっている。
だから可処分所得の減少を止めるには社会保険料を下げる必要があるが、その財源としては消費税の増税しか考えられない。これは政治的には困難だが、このまま社会保険料の負担を増やすと格差は拡大し、政治的にも危険である。
金融政策の役割も変わった。需要不足が一時的なものと思われていた時期には、金利操作で「需要を先食い」するのが中央銀行の役割だったが、需要不足がずっと続く場合には意味がない。「インフレ期待」を作り出してインフレにするという日銀の量的緩和も、インフレになったらずっと続かない限り意味がない。
だから今では金融政策も財政政策の一部になり、財政ファイナンスになった。それ自体は問題ではないが、政府債務の膨張に歯止めをかける必要がある。それには政府債務を管理する独立行政委員会も考えられるが、当面は2013年の政府と日銀のアコードを修正してはどうかというのが著者の提案である。
全体としては主流派のオーソドックスな議論だが、カーボンニュートラルに関する議論は意味不明だ。著者の合理主義から考えると、ESG投資のような収益マイナスの事業に投資することはありえないはずだ。それが世界の潮流だという状況も、ウクライナ戦争で大きく変わった。このあたりを整理してほしい。
- バブル崩壊の後遺症で個人消費が伸びない
- 企業が国内で貯蓄し、アジアで新規投資した
- 硬直的な雇用慣行で労働生産性が上がらなかった
- 社会保障の負担増が大きく、可処分所得が減った
著者はこれを主流派経済学の立場から批判するが、主流派にも問題があったという。彼らは財政破綻のリスクを過大評価し、需要不足を一過性の問題と考えたが、それは誤りだった。ブランシャールも指摘したように長期金利<名目成長率という状況が続くと、ISバランスの不均衡は埋まらない。需要不足は長期の問題なのだ。
だから一定の財政赤字が必要だが、問題はそれをどう使うかである。大企業は海外投資で利益を上げたが、国内に取り残されたゾンビ企業(利益で金利の払えない中小企業)は経営が悪化した。その金利負担を軽減し、補助金で延命する弱者救済が、アベノミクスの実態だった。
需要不足も財政赤字も一時的ではない
このようなバラマキ財政は自民党の伝統であり、公明党も好むので、政治的には容易だったが、結果的には競争力のない企業を延命し、労働生産性を低下させ、潜在成長率をゼロにした。それによってゼロ金利になって金融政策の効果がなくなり、さらに財政政策に頼る悪循環になった。主流派経済学では、裁量的な財政支出は資源配分をゆがめ、政治的なバイアスが大きいので、やめるべきだと考える。ケインズは1930年代の大恐慌のとき財政支出を提案したが、それはあくまでも一時的な緊急避難という位置づけだった。
しかし21世紀に、財政赤字の意味は変わった。特に日本では社会保障支出が激増したのに対して、消費税の増税に失敗したため、国債を増発して政府債務が膨張した。2000年代以降の自公政権は、これを社会保険料の引き上げで埋めたため、サラリーマンの負担が大きくなり、可処分所得が下がった。
おまけにその半分は事業主負担で、消費税は輸出したときは還付されるが、社会保険料は還付されない。このため企業は社会保険料のかからない非正規労働者を雇う傾向が強まる。この結果、全額自己負担の国民年金や国民健保の未納が増え、4割が未納という状況になっている。
だから可処分所得の減少を止めるには社会保険料を下げる必要があるが、その財源としては消費税の増税しか考えられない。これは政治的には困難だが、このまま社会保険料の負担を増やすと格差は拡大し、政治的にも危険である。
金融政策の役割も変わった。需要不足が一時的なものと思われていた時期には、金利操作で「需要を先食い」するのが中央銀行の役割だったが、需要不足がずっと続く場合には意味がない。「インフレ期待」を作り出してインフレにするという日銀の量的緩和も、インフレになったらずっと続かない限り意味がない。
だから今では金融政策も財政政策の一部になり、財政ファイナンスになった。それ自体は問題ではないが、政府債務の膨張に歯止めをかける必要がある。それには政府債務を管理する独立行政委員会も考えられるが、当面は2013年の政府と日銀のアコードを修正してはどうかというのが著者の提案である。
全体としては主流派のオーソドックスな議論だが、カーボンニュートラルに関する議論は意味不明だ。著者の合理主義から考えると、ESG投資のような収益マイナスの事業に投資することはありえないはずだ。それが世界の潮流だという状況も、ウクライナ戦争で大きく変わった。このあたりを整理してほしい。