その誕生から今日まで CIA秘録 上 (文春文庫)
統一教会は、今は弱小カルトの一つにすぎないが、1960年代には大きな影響力をもっていた。それは宗教団体としてではなく、岸信介と朴正熙とCIAをつなぐ地下金脈としてである。

文鮮明は1954年にソウルで統一教会を設立し、1959年に日本に進出した。このとき岸信介と懇意になり、彼の自宅の敷地を借りて統一教会の日本支部を設立した。その資金源は朴正熙(KCIA)といわれているが、朴がクーデタを起こしたのは1961年である。設立資金を提供したのはアメリカのCIAであり、その仲介役が岸だった。

岸がCIAの工作員だったことは陰謀論ではなく、本書が公文書を根拠に明らかにした歴史的事実である。第12章では、終戦後CIAがどうやって日本を冷戦の前線基地に仕立てていったかが具体的に書かれている。

CIAが日本で雇ったエージェントのうち、もっとも大きな働きをしたのは、岸と児玉誉士夫だった。児玉は中国の闇市場で稀少金属の取引を行い、1.75億ドルの財産をもっていたが、情報提供者としては役に立たなかった。この点で主要な役割を果たしたのは岸だった。CIAから提供された巨額の工作資金(現在のレートで数十億円)が彼の政治力の源泉だった。

勝共連合は「間接侵略」の防波堤

岸はグルー元駐日大使などCIA関係者と戦時中から連絡をとっていたので、CIAは情報源として使えるとみて、マッカーサーを説得して彼をA級戦犯リストから外させ、工作員として雇った。岸は児玉やCIAの資金を使って自民党の政治家を買収し、党内でのし上がった。

1955年8月、ダレス国務長官は岸と会い、東アジアの共産化から日本を守るためには日本の保守勢力が団結することが重要で、それに必要な資金協力は惜しまないと語った。岸は、その資金を使って11月に保守合同を実現し、1957年には首相になった。

CIA資金は統一教会にも流れ、朴の軍事政権を支えた。岸と文鮮明は1968年に国際勝共連合をつくり、国際共産主義の「間接侵略」に対抗する宣伝活動を行った。CIAの資金供与は1970年代まで続き、「構造汚職」の原因となった。

岸の集金力の源泉は満州国などで培った人脈に加え、「反共」のためには反社会的勢力も利用する老獪な政治力のおかげだった。60年安保騒動のときは弱体な警察力を補うため、笹川良一などの協力で4万人の右翼を国会周辺に動員したという。

岸は私有財産を否定する社会主義的な信念をもっていたが、暴力革命には反対し、日本を共産主義から守るためには反社も利用した。彼の自宅には、巨大な隠し金庫があった。CIA資金も、彼のスケールの大きな戦略を実現する軍資金ぐらいに考えていたのだろう。

勝共連合も彼の利用した小道具の一つだった。それは在日韓国人(当時は反社の中心だった)に浸透し、霊感商法や献金で集金する役には立ったが、冷戦の終了で「反共」という看板が不要になった。合同結婚式などが騒がれるようになったのは、1990年代に統一教会の政治的影響力が弱まってからである。