ウクライナをめぐる問題で、いつも争点になるのは「NATOの東方拡大」である。政治学者はそんな約束はないというが、陰謀論者は結果としてNATOが拡大してきたという。それは事実だが、プーチンがそれを問題にし始めたのは古いことではない。
2001年の9・11の後、アメリカがアフガニスタンに介入したときプーチン大統領はそれを支持し、2004年にバルト三国がNATOに加盟したときも強く反対しなかった。しかし2000年代前半にロシアの周辺各国で起こったカラー革命で状況は変わった。
・ジョージア:バラ革命(2003)
・ウクライナ:オレンジ革命(2004)
・キルギス:チューリップ革命(2005)
こうした一連の政変で親米政権ができたことは、ソ連の崩壊後も維持してきたロシアの「勢力圏」をおかすものだとプーチンは受け止めた。特にウクライナとジョージアがNATO加盟の意思を表明したことは、彼の危機感を強めた。
国連の機能しない世界で、NATOは「ヨーロッパの国連」となりつつある。その反対物であるワルシャワ条約機構がなくなった世界では、NATO拡大はロシアを排除するアメリカの陰謀だ、とプーチンは考えたのだ。
このように多民族を抱えるのは、どこの「帝国」にも共通の悩みで、ロシア帝国(ロマノフ朝)はその矛盾が第1次大戦で顕在化して崩壊した。ソ連はこの多民族国家を「社会主義」というイデオロギーで統合したが、その求心力は弱く、冷戦が終わると、旧ソ連内の各国が独立した。
それを統合するイデオロギーとして、プーチンは民衆を「反米」で結束させようとした。その転機になったのが、2008年4月のブカレスト宣言である。このとき米ブッシュ大統領はウクライナとジョージアの加盟を認めたが、ドイツとフランスの反対で見送られた。これにプーチン首相は怒り、同じ年の8月にジョージアに介入した。
ウクライナでも政権に介入し、2010年の大統領選挙では親ロシア派のヤヌコーヴィチが当選してNATO加盟を取り下げた。しかし民衆の中にはNATOやEUに入ってヨーロッパ化するよう求める動きが強く、2014年に大規模なデモを繰り返し、ヤヌコーヴィチはロシアに亡命した。
プーチンはこれをアメリカの仕組んだ陰謀と考え、それに対抗するためウクライナに介入してクリミアを併合し、ドンバス地方を攻撃した。この戦争でもロシアの軍事力は圧倒的で、1ヶ月足らずで終わり、ミンスク合意でロシアは東部を実質的に支配した。
特に2014年以降ウクライナの軍備が見違えるほど増強されたのは、アメリカが武器を供与し、軍事顧問団を派遣し、衛星などの軍事情報を提供したためで、ウクライナ軍の中枢は米軍である。それが「ユダヤ国際資本」や「軍産複合体」の陰謀だとかいう話は荒唐無稽だが、プーチンがそう考える理由はある。
プーチンの被害妄想の最大の原因は、冷戦終了後、社会主義に代わるアイデンティティを見つけることができない「自分さがし」なのではないか。革命以前の伝統だったロシア正教はスターリンが完全に破壊してしまったので、アイデンティティになりえない。そこにはドストエフスキー的なカオスがあるだけだ。
2001年の9・11の後、アメリカがアフガニスタンに介入したときプーチン大統領はそれを支持し、2004年にバルト三国がNATOに加盟したときも強く反対しなかった。しかし2000年代前半にロシアの周辺各国で起こったカラー革命で状況は変わった。
・ジョージア:バラ革命(2003)
・ウクライナ:オレンジ革命(2004)
・キルギス:チューリップ革命(2005)
こうした一連の政変で親米政権ができたことは、ソ連の崩壊後も維持してきたロシアの「勢力圏」をおかすものだとプーチンは受け止めた。特にウクライナとジョージアがNATO加盟の意思を表明したことは、彼の危機感を強めた。
国連の機能しない世界で、NATOは「ヨーロッパの国連」となりつつある。その反対物であるワルシャワ条約機構がなくなった世界では、NATO拡大はロシアを排除するアメリカの陰謀だ、とプーチンは考えたのだ。
多民族の「帝国」を束ねる陰謀論
この背景には、地理的な国境と民族の境界が一致しない多民族国家というロシアの抱える問題がある。ロシアは194の民族を抱え、このうちロシア人と自認する人は78%。それ以外にタタール人、ウクライナ人などがいる。大部分は白人だが、中央アジアにはアジア系も多く、西側にはヨーロッパ系が多い。このように多民族を抱えるのは、どこの「帝国」にも共通の悩みで、ロシア帝国(ロマノフ朝)はその矛盾が第1次大戦で顕在化して崩壊した。ソ連はこの多民族国家を「社会主義」というイデオロギーで統合したが、その求心力は弱く、冷戦が終わると、旧ソ連内の各国が独立した。
それを統合するイデオロギーとして、プーチンは民衆を「反米」で結束させようとした。その転機になったのが、2008年4月のブカレスト宣言である。このとき米ブッシュ大統領はウクライナとジョージアの加盟を認めたが、ドイツとフランスの反対で見送られた。これにプーチン首相は怒り、同じ年の8月にジョージアに介入した。
ウクライナでも政権に介入し、2010年の大統領選挙では親ロシア派のヤヌコーヴィチが当選してNATO加盟を取り下げた。しかし民衆の中にはNATOやEUに入ってヨーロッパ化するよう求める動きが強く、2014年に大規模なデモを繰り返し、ヤヌコーヴィチはロシアに亡命した。
プーチンはこれをアメリカの仕組んだ陰謀と考え、それに対抗するためウクライナに介入してクリミアを併合し、ドンバス地方を攻撃した。この戦争でもロシアの軍事力は圧倒的で、1ヶ月足らずで終わり、ミンスク合意でロシアは東部を実質的に支配した。
ポスト冷戦の「自分さがし」
このようにプーチンの目から見ると、冷戦後の30年の歴史は、一貫して西側の拡大の歴史であり、その象徴がNATOだった。その最大の原因は陰謀ではなく東欧諸国のヨーロッパに対するあこがれだが、そういう勢力にアメリカが資金や軍備を提供したことは事実である。特に2014年以降ウクライナの軍備が見違えるほど増強されたのは、アメリカが武器を供与し、軍事顧問団を派遣し、衛星などの軍事情報を提供したためで、ウクライナ軍の中枢は米軍である。それが「ユダヤ国際資本」や「軍産複合体」の陰謀だとかいう話は荒唐無稽だが、プーチンがそう考える理由はある。
プーチンの被害妄想の最大の原因は、冷戦終了後、社会主義に代わるアイデンティティを見つけることができない「自分さがし」なのではないか。革命以前の伝統だったロシア正教はスターリンが完全に破壊してしまったので、アイデンティティになりえない。そこにはドストエフスキー的なカオスがあるだけだ。