ドイツ・ナショナリズム 「普遍」対「固有」の二千年史 (中公新書)
今やドイツはEUの中心である。イギリスが離脱した後のEUは「ドイツ帝国」になり、ドイツ人は難民受け入れなどの「多様性」を指導し、ECBの中心として緊縮財政を南欧諸国に求め、「2050年ネットゼロ」をめざす環境原理主義を生んだ。

このようなドイツ人の行動に共通しているのは、彼らの利益が西欧の利益であり、それが人類の普遍的な利益だと信じて、世界に広める宗教的信念である。これを本書は西欧的=「普遍的」価値と呼ぶ。

このドイツ的普遍主義はプロテスタンティズムを生み、ヨーロッパで宗教戦争の続く原因となった。そこで多くの信者を集めたのは、信仰の普遍性だった。地域の伝統文化に根ざしたカトリックを否定することで、プロテスタントはドイツの宗教になったのだ。

他方でドイツ人には「固有性」を求めるナショナリズムがあり、それがナチズムのような暴力として爆発することもある。1945年以降はそれを懺悔して西欧的リベラリズムに同化しようとするハーバーマスなどの知識人が、ナショナリストを「道徳の棍棒」でたたき続けてきた。この状況は戦後の日本に似ているが、著者はこれを知的戒厳令体制と名づけている。

ドイツ人の見出した「地球環境」という普遍的価値

普遍的価値という言葉は形容矛盾である。科学に普遍的真理はあるが、価値観に普遍的価値はない。言葉が国によって違うように、道徳は国によって違う。西欧的価値はキリスト教の世俗化であり、非西欧圏には根づかない。それが成功したのは民主主義や主権国家が普遍的だったからではなく、資本主義が圧倒的な富をもたらし、西欧が世界を軍事的に征服したからにすぎない。

しかしドイツ人はそう考えない。かつてドイツの哲学が世界最高峰だったのは、宗教戦争が繰り返される中で、宗派を超えて普遍的な価値とは何かという思索が続けられたからだ。そこではまず「何が正しいか」という価値が追求され、それを実現する普遍的な思想が求められる。このような普遍的価値の追求の極限に出てきたのが、すべての価値を否定するニヒリズムだった。

そのニヒリズムを克服してドイツの「固有の価値」を復活すると称して出てきたのがナチズムだったが、これは決定的に破綻した。戦後のドイツ思想のテーマは、この道徳的敗北から立ち直ることであり、いまだに国民的価値の追求を許さない。

そして統一されたドイツが、普遍的価値として見出したのが地球環境だった。CO2排出ゼロという目的は荒唐無稽だが、彼らはそれが実現可能かどうかとか、コストは負担できるのかとは考えない。それは人類の存続という普遍的価値であり、科学という普遍的知識に裏づけられていると彼らは信じているからだ。

ドイツ人の強みはこういうドイツ的道徳に科学的真理の装いをまとい、英語で世界に発信できることだ。ナチスはヨーロッパを軍事的に征服しようして失敗したが、いまドイツ人がねらうのは、環境原理主義による世界の道徳的征服なのだ。