一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)
第6次エネルギー基本計画が、素案どおり閣議決定された。誰も実現できると思っていないが、目的がわからなくなっても極端な前例主義で、走り出したら止まらない。山本七平のいう自転する組織の見本である。

本書は山本が1944年にフィリピンで砲兵隊の見習士官として体験した軍隊生活を中心に、日本軍の日常を詳細に描いたものだが、山本の特徴はそれを特殊な「狂気」として糾弾するのではなく、普通の日本人による日常的な組織として淡々と描き、同じ欠陥が現代の組織にも受け継がれていることを指摘した点にある。

戦争は全体のために部分を犠牲にするものだから、「自分だけは生き残りたい」という個人の意思を尊重していたら勝てない。しかし日本軍は現場主義で、ボトムアップでものを決めていく。よくも悪くも全体を指揮する超越的主体がなく、インサイダーだけで決めるので、決めるまでに時間がかかるが、いったん決まった前例は律儀に守る。それが自転する組織である。
教壇に立った区隊長K大尉は、改まった調子で次のように言った。「本日より教育が変わる。対米戦闘が主体となる。これを『ア号教育』と言う」と。驚きと、疑問の氷解と、腹立たしさとが入り混じった奇妙な感情のうねりが、一瞬、 私の中を横切った。

欧州では米英軍がシチリアに上陸している。 危機は一歩一歩と近づいており、その当面の敵は米英軍のはず。 それなのにわれわれの受けている教育は、この「ア号教育」という言葉を聞かされるまで、一貫して対ソビエト戦であり、想定される戦場は常に北満とシベリアの広野であっても、南方のジャングルではなかった。(本書p.39)
これは1944年の話である。この自転の原因は何だろうか、という疑問から山本の思索は始まった。

現場が意思決定する「下剋上」

この時代錯誤の原因は、陸軍の本来の敵がロシア(のちにソ連)であり、対米戦を想定していなかったからだ。もともと始めるつもりのなかった日米戦争を上層部が始めてしまったが、現場は昔からの対ソ戦のやり方しか知らない。それでは当然、戦闘も補給もめちゃくちゃになる。特に海上輸送を整備しなかったので、太平洋の島で孤立した部隊が餓死した。

これは日本軍の中核となるたたき上げの下士官が対ソ戦の教育しか受けず、その「生き字引」としての知識が彼らの存在意義になっていたためだ。陸軍の組織は「キャリア」の高級将校と「ノンキャリ」の下士官と、その他大勢の兵士の三層構造になっており、現場の意向を決めるのは下士官だった。各地を転々とする高級将校は、現場の情報をもっている下士官に逆らえなかったのだ。

これでは当然、戦争には勝てないので、陸軍の上層部はトップダウンでやろうとする。彼らは西洋的な教育を受け、儒学の伝統を受け継いでいるので、「天皇陛下の命令」で動かそうとする。つまり建て前はトップダウンで実態はボトムアップという矛盾が、日本軍の支離滅裂な行動の原因だった。

日本の企業も建て前は「株主主権」だが、実態は労働者管理企業である。政治も建て前は「国民主権」だが、実態は官僚主導である。これは経済学でもエージェンシー問題としてよく知られている。西洋ではプリンシパルの目的にエージェントを従わせるが、日本では逆にエージェントの自律性を守るためにプリンシパルを無力化する「まつりごと」の構造ができた。
帝国陸軍では、本当の意思決定者・決断者がどこにいるのか、外部からは絶対にわからない。というのは、その決定が「命令」という形で下達されるときは、それを下すのは名目的指揮官だが、その指揮官が果して本当に自ら決断を下したのか、実力者の決断の「代読者」にすぎないのかは、わからないからである。そして多くの軍司令官は「代読者」にすぎなかった。(p.319)
このような武士から受け継いだ下剋上の欠陥は、丸山眞男が「政事の構造」で指摘した問題と重なる。山本も丸山もそれを日本人の特殊性として語り、一般化しなかったが、これは意外に普遍的な問題である。公務員や労働者管理企業のように外部からのチェックを受けない組織は自転しやすい。