グリーン経済学――つながってるけど、混み合いすぎで、対立ばかりの世界を解決する環境思考
90年前、世界が大恐慌に陥ったとき、計画経済によってすべての問題が解決すると考えた人々がいた。彼らの理想郷はソビエト連邦であり、その教義はマルクス主義だった。それが錯覚だとわかるまでに70年以上かかり、多くの人がその犠牲になった。

そして今、世界を環境社会主義がおおっている。今度の彼らの理想は計画経済ではなく、CO2排出ゼロであり、理想郷は原発ゼロにして再エネで経済を維持しようとしたドイツだった。その理想はウクライナ戦争で崩れ去ったが、今なおそれに固執する人がいる。

彼らは、かつての社会主義が陥ったのと同じ錯覚に陥っている。経済を計画的に運営すること自体は目的ではなく、人々が豊かで快適な生活を送る手段にすぎない。同じように地球の平均気温を一定に保つことは人間が快適に生活する手段であり、気温はその条件の一つにすぎない。

世界の大部分の国では、100年後の地球の平均気温が2℃上がるか3℃上がるかなんて気にする人はいない。電力もない途上国の人々にとっては、化石燃料だろうと原子力だろうと、安価で安定したエネルギーが必要なのだ。

次の図のように排出規制と所得はトレードオフになっているが、快適な環境は外部効果なので、価格で計測できない。たとえばガソリンの価格が安いのは、大気汚染やCO2排出などの外部性が反映されていないためだ。

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ここで炭素税(横軸)をかけると化石燃料の消費が減り、名目所得は減るが、環境が改善されて本当の所得(true income)は増える。それが最大になる点が、最適な炭素税率である。これ以外に、排出量などの数値目標を設定することは望ましくない。「カーボンゼロ」なんてナンセンスな目標である。

国連で1.5℃目標や2050年排出ゼロなどの非現実的な目標が出てくるのは、それが法的拘束力のない努力目標なので、いくらでも美辞麗句がいえるからだ。損するのはそれをまじめに実行する日本のような国で、利益を得るのは中国のようなフリーライダーである。

グローバルな気候協約

それに対してノードハウスが提案するのは、グローバルな気候協約(climate compact)である。これは参加国に同率の炭素税を適用して排出量を削減するもので、法的拘束力のある条約だ。WTOのように違反した国には懲罰関税などの罰則を設ける代わり、炭素税は40ドル/トンぐらいの実現可能な率とする。

パリ協定には175ヶ国が参加したが、EUにパリ協定を国内法で完全実施した国はない。2050年カーボンニュートラルを立法化したのはニュージーランドだけで、スイスは国民投票で否決した。

他方でEUは、パリ協定を理由にして、ガソリン車の禁止に踏み出そうとしている。これは日本の自動車産業を陥れるEUの罠である。このままでは、ハイブリッドまで禁止されるおそれが強い。

日本の財界は炭素税に反対しているが、ハイブリッド禁止のような裁量的な規制より炭素税のほうがましだ。このままではEUのペースで、高率の国境炭素税が一方的に決まるおそれがある。今のうちに日本の側からルールメイキングに参加したほうがいい。

日本はすでに揮発油税や自動車重量税などで実質的に約4000円/トンの炭素税をかけており、FIT賦課金を加えると負担額は約6000円に相当する。これを炭素税とみなせば、世界一律に40ドルの炭素税をかけるノードハウス案とほぼ同じ負担をしていることになる。

合理的な規制は、すべての国が均等にCO2を削減することではなく、限界削減費用=炭素価格になるように世界の削減量を最適化することであり、それは「カーボンゼロ」ではない。著者がノーベル賞講演で指摘したように、投資収益(将来の損害の現在価値)と現在の防止コストが等しくなる最適の水準は、2100年に3.5℃上昇に抑えることだ。

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ノードハウスのノーベル賞講演より

限界削減費用が世界最大の日本がこれ以上削減するより、削減費用の低い途上国に削減技術を輸出したほうがいい。環境問題を解決するのは「脱成長」ではなく、資本主義と技術革新なのだ。