日米首脳会談を前に、いろいろな宿題がバタバタと動き始め、福島第一原発の「処理水」は8年ぶりに海洋放出が決まった。このように外圧がないと決まらない日本の政治の特徴を「対米従属」と批判する人が多いが、アメリカがそれほど決定権をもっているわけではない。その役割は戦前の天皇に似ている。

日本社会の「古層」には、イエ型の分権的な意思決定が根強く残っている。その基盤となった長子相続は制度としてなくなったが、「家長」が一族郎党を指導し、他のイエと利害調整するスタイルは、大企業にも役所にも残っている。これはメンバーの行動についての知識を共有する点でゲーム理論のナッシュ均衡に近い。

ナッシュ均衡が成立するには、相手がどういう場合にどう行動するかを予想して行動し、相手もそれを知っている…という共有知識が必要だ。これは教科書に出てくる2×2ぐらいのゲームならいいが、10×10になると1010=10億通りの戦略空間を全員が完璧に知っている必要がある。

もちろん現実にはそんな共有知識は不可能なので、ナッシュ均衡は数百人以上の集団では維持できない。生物学的にも、人間が顔を覚えられるのは150人ぐらいのダンバー数が限度とされる。これが古代の親族集団(ウジ)に近い。

集団の規模がダンバー数を超えたとき、ウジを超える機能集団(社団)ができてウジを結びつけるが、その形態は地域によって異なる。多くの場合は地縁集団(村落)だが、その紛争が頻発すると、社会全体を統合する君主が必要になる。これはナッシュ均衡とは異なる相関均衡に近い。

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