村上泰亮著作集 (4)
夫婦別姓をめぐる論争は、無知な保守派が旧民法の家制度を日本古来の伝統と取り違えただけで、学問的には論じるに値しない。何度も書いたように、日本の伝統は夫婦別姓である。というより律令制度の戸籍では、成年男子以外に姓はなかった。北条政子も日野富子も、同時代には単なる「政子」や「富子」だった。

苗字(氏)は姓とは別である。現代では姓=氏なので混同しやすいが、姓が先祖代々の家系(親族集団)の称号で変えられないのに対して、苗字は日本独特のイエをあらわす通称で、勝手につけてよかった。

イエは親族集団ではなく、村上泰亮の表現によれば「平安末期に東国で発生した超血縁的な社団」である。その第一義的な機能は農地を守る武装集団なので、一族郎党には血縁が必ずしもなく、婿取りも普通だった。イエは基本的には能力主義的な機能集団だったが、その正統性には血統を使う擬似親族集団だった。

親族集団が大規模化するとき、擬似親族集団ができることはよくある。その一つが同姓を一族とみなす中国の宗族で、数万人という規模になる。それに対して日本のイエは数百人の社団で、共同で農作業や戦争をすることが重要だった。互いに名前を覚えられる規模を超えると分家し、別の苗字を名乗ることも多かった。国も大名家というイエの擬制で統治された。

この世界に類をみないイエが、中世以来の日本社会の根底にあり、現代の政治にも企業にも生きている。それが丸山眞男の指摘したタコツボの構造である。国を「国家」と呼ぶ和製漢語は、まさに国=家という日本の伝統を示している。

エリートの仕事はイエの利害調整

こういう分権的な社団国家は、日本独特というわけではない。ヨーロッパでも古代の親族集団が統合されて、12世紀以降は封建領主の社団国家(領邦)が分立する状況が続いたが、人口移動とともに戦争が頻発し、19世紀には主権国家に統合された。

ところが日本では江戸時代にイエの分立する状況を徳川家が固定したため、社団国家がその後も続いた。戊辰戦争は250年遅れの30年戦争のようなものだったが、封建社会が成熟して自然崩壊したので内戦には発展しなかった。

日本が独特なのは、この中世以来のイエの構造が変わらないまま近代化に成功し、それが21世紀にも続いていることだ。これは行動経済学でいうとシステム1の「古い脳」でタコツボ的な小集団を統合し、その集団間の利害対立をエリートがシステム2で調整するいう分業が、明治時代にできたことが原因かもしれない。

だから日本の生産性を支えているのは理系の技術者の「現場力」だが、彼らはエリートになれない。大組織のエリートは、社内の多くのイエの複雑な利害対立を調整する文系サラリーマンなのだ。ここでは「一所懸命」に定年までイエに尽くす武士のモラルが終身雇用・年功序列として受け継がれ、雇用を守ることが企業価値の最大化より優先される。

役所でもこの構造は同じである。終身雇用の官庁は武士のモラルを直接受け継いでいるので、「局あって省なし」といわれるように、イエぐらいの規模の「原局」の団結が強く、局長・審議官の仕事はその利害調整である。

これは一概に悪いとはいえないが、国家的規模の危機管理には適していない。タコツボ的な原局から上がってくる方針がバラバラで、それを調整することが政治家の仕事になってしまう。かつての戦争で日本が惨敗したのもそれが原因だが、今のコロナ対策に至るまで、国家戦略を立てられないイエ社会の欠陥は続いている。