昨今のコロナ騒動で、デモクラシーの意味があらためて問われている。医学やテクノロジーの専門家を民主的な政府がコントロールするというのが近代国家の原則だが、今や大衆がネットで知識を得るので、専門知識はブラックボックスではない。

そうすると従来のように政府が専門知識を独占して決定するという前提が崩れ、だれもが意思決定に参加しようとして政府を批判し、収拾がつかなくなる。それに対して中国のような独裁国家は、情報を共産党が独占してロックダウンもできるので、感染症をコントロールする上では効率的である。

このような競争は、100年前にも起こった。第一次大戦は帝政と民主政の制度間競争だったが、後者の圧倒的な勝利に終わり、ドイツ、ロシア、オスマン、オーストリア=ハンガリー帝国が消滅した。総力戦では武器だけではなく、経済力や国民の支持が必要なので、国王のための戦争ではなく、主権者たる国民が祖国のために戦う西欧型デモクラシーは、戦争に勝ち抜く上で最強の政治システムだった。

今は逆の制度間競争が起こっている。中国の独裁制は意思決定の効率が高く、コロナを征圧する上でも有効だった。中国のGDPは2028年に世界一になり、日本は中国の衛星国家になるかもしれない。

過剰なデモクラシーが日本を衰退させる

デモクラシーを「民主主義」と訳したのが間違いだった。これは「民衆による支配」という意味で、国民が政治をコントロールする主権をもっているわけではない。「国民が主権者だ」というロマン主義は、国民を戦争に駆り立てる上では役に立つが、フィクションにすぎない。

国民が意思決定を行うことが最善だというわけでもない。すべての意思決定を直接選挙で行うことは、コンピュータが発達したら可能になるが、コロナでは国民の圧倒的多数は強硬派なので、ワイドショーがあおったら(違法な)ロックダウンも支持するだろう。日米戦争の開戦には、圧倒的多数の国民が賛成した。

20世紀までの戦争で重要なのは歩兵だったから、重装歩兵が自分の生死を決める古代ギリシャのデモクラシーがモデルになったが、現代の戦争の武器は歩兵ではなく人工知能やドローンなので、多くの国民を戦争に動員するデモクラシーは必要ではない。むしろ中国共産党が一元的に決めるほうが効率的で、迅速に意思決定できる。

独裁はインフラ整備にも適している。中国は電気自動車でも全国に充電網をつくって世界のトップを走り、原発も2020年代には100基が運転し、世界最大の原発大国になる。今はまだ日本が世界トップの技術力をもっているが、このまま原発を再稼動もリプレースもできないと、2020年代に中国に抜かれ、電気代は中国の7倍ぐらいになるだろう。

その最大の障害になっているのは、原発を動かすのに(法律で決まっていない)原子力規制委委員会の安全審査や地元の同意を求める過剰なデモクラシーである。それを変えないと、この状況は逆転できないだろう。