新・電波利権ver.2 (アゴラPODシリーズ)
総務省の接待疑惑は、底なしの様相を見せてきた。谷脇総務審議官や山田内閣広報官のみならず、武田総務相がNTTのドコモに対するTOBの最中に持株の社長の接待を受けていたという事実も判明し、歴代の総務相と事務次官(旧郵政省系)はほとんど接待を受けていたと思われる。なぜこんな接待が総務省だけで続いていたのか。

その理由は簡単である。官民癒着を監視するはずの記者クラブが仲間だからである。彼らが「夜回り」と称してやっていることをNTTもやっているだけだから、その実態は記者クラブが誰よりも知っているが書けない。

これが今回の疑惑のコアだが、マスコミが隠すので、ほとんどの人が知らない。そこでもうデータは古くなったが、基礎知識の部分はまだ使えると思うので、2010年の拙著『新・電波利権』のPDFファイルをアゴラサロンで公開する。

テレビ朝日(全国朝日放送)が生まれたのは古い話ではなく、1977年である。それまで大阪に朝日放送があったが、東京にはNETという三流放送局があり、新聞とは系列化されていなかった。これを朝日新聞出身の三浦甲子二(テレビ朝日専務)が田中角栄に取り入って系列化し、朝日新聞社の支配下に置いたのだ。『新・電波利権』の第2章から引用しよう。
首相になっても、田中角栄と放送業界の関係は続き、さらに深まった。このとき彼が行ったのは、全国のテレビの新聞との系列化だった。初期のテレビ局は、新聞社とのつながりはそれほど強くなく、NET(現在のテレビ朝日)や東京12チャンネル(現在のテレビ東京)などは「教育専門局」という位置づけだった。系列も一本化しておらず、東京と大阪の局の間に「ねじれ」があり、毎日新聞系のTBSの番組が、大阪では朝日新聞系の朝日放送で流されたりしていた。
 
しかし、新聞経営が頭打ちになる一方、テレビがメディアの主役になるにつれて、新聞社がテレビ局を支配したいという要求が強まっていた。特にこれを強く求めたのは、キー局のなかに系列局をもたない朝日新聞だった。NETは、同じく教育専門局だった東京12チャンネルとともに「総合テレビ局」に免許が変更され、資本関係を整理し、朝日新聞が筆頭株主となって1977年に「テレビ朝日」と改称された。大阪の朝日放送も、TBSとの大規模な株式交換などによって、テレビ朝日の系列へと移され、TBSは大阪の毎日放送とネット関係を結ぶことになる。
 
このとき、資本関係の変更を調整したのも田中角栄だった。財界の要望によってつくられた東京12チャンネルも、当初は科学技術専門チャンネルとして1964年に放送を開始したが、経営不審に陥り、結局、日本経済新聞社に身売りされ、のちにテレビ東京と改称される。これによって

 読売新聞=日本テレビ
 毎日新聞=TBS
 産経新聞=フジテレビ
 朝日新聞=テレビ朝日
 日本経済新聞=テレビ東京

という新聞によるテレビの系列化が完成した。このように系列化されることによって、自民党はテレビばかりでなく系列の新聞社もコントロールできるようになったのだ。

波取り記者

このようにテレビと新聞が完全に系列化されている例は、世界的にも見られない。ネット局を増やすためには、政治家へのロビイングが欠かせないため、各新聞社の郵政省記者クラブには、記事を書く社会部などの通常の記者とは別に、「波取り記者」とよばれる政治部の記者が配属された。
 
日本では、「同じ都道府県にある複数の地上波放送局について、同じ者が同時に10%以上の株式を保有してはならず、別の都道府県にある複数の放送局について、同時に20%以上の株式を保有してはならない」というマスメディア集中排除原則がある。しかし、テレビ局と新聞社がこのように人的に強くむすびつき、テレビ朝日のニュース番組のコメンテーターとして「朝日新聞編集委員」を名乗る人物が堂々と出てくるようでは、集中排除原則は言論の多様性を守るという本来の役割を果たしておらず、放送業界の再編成をさまたげているだけである。
 
ついでに言えば、政治家も系列化された。地方民放は「政治家に作られた」といってもよいため、経営の実権を握っているのが経営者ではなく、政治家である例が多い。政治家にとって見れば、地方民放は資金源としては大したことはないが、「お国入り」をローカルニュースで扱ってくれるなど宣伝機関としては便利なのである。各県単位で地方民放の派閥ごとの分配が行われ、政治家も系列化された。したがって現在では、すべての民放を旧田中派が牛耳っているというわけではない。

赤字補填の「相互扶助」

このように、最初は新しいメディアとして期待され、多くの企業が殺到するが、それを一本化して営業をスタートしてみると、寄り合い所帯の欠陥が露呈するというパターンは、地方の放送局にも共通したものである。
 
ラジオの場合にも、東京では民放FMは3局ぐらいしか聞けない。AM局の圧力によって、その枠を極端に絞り込んだためだ。「広告に依存するラジオ局が共存できる数には限界がある」というのがその理由だが、アメリカには12000局ものFM局がある。大都市では200局ぐらい聞けるのが普通で、「カントリー音楽専門局」とか「トークショー専門局」などに細かくセグメント化された市場で多様な番組が聞ける。すぐれたサービスは、こうした競争の結果、消費者に選ばれるものであって、行政があらかじめ「調整」して決めるものではないだろう。
 
ここまで見てきたように、全国にテレビのネットワークが急速に広がった最大の原因は、政治家による利害調整だった。利害調整が先だったので、個々の放送局の採算がとれるかどうかが十分に検討されていたわけではない。現実には、地方紙でさえ各県で1紙、経営が成り立つかどうかという広告市場で、「各県4局体制」を実現するのは無理である。
 
日本の民放テレビは全国127局あわせて年間の営業収入が約2兆5000億円。そのうち東名阪の約20局で70%を占め、残りの約7000億円を100局以上がわけあうという構造である。つまり主要な局を除くと、民放は売り上げが平均70億円程度の中小企業にすぎないのだ。
 
このため、経営状態の悪い地方局にはキー局から電波料とよばれる補助金が支払われる。ネット料の根拠は、その地方局が全国向けの広告を流すことによってキー局の広告収入も増える対価だとされるが、その額は公表されていない。1局あたり数十億円程度といわれるが、算定根拠は曖昧で、そのときの経営状態に応じて「相互扶助」によって補填が行われているという。つまり地方民放は、キー局から番組という商品を供給してもらうばかりでなく、カネまでもらえるしくみになっているのである。

最後の護送船団

おかげで、テレビ放送が始まってから50年以上、日本の地上波局には、倒産・合併・買収といったケースが事実上、1社もない(例外はイトマン事件で詐欺にあって倒産した近畿放送だけ)。かつて銀行行政が「護送船団行政」として批判を浴びたが、非難を浴びせていた側の放送業界こそ、今でも残る「最後の護送船団」なのである。
 
本来、各県に番組を配信するだけなら、キー局がその県に中継局を建てればよい。しかし、日本のテレビ局は県域免許が建て前になっているため、各県ごとに放送局を設立しないと、その県では放送できないのである。その結果、民放が全国に127局もでき、自力では経営が成り立たない零細企業が大量にできてしまった。おまけに集中排除原則によって資本構成が規制されているため、ローカル局は過小資本で、キー局による赤字補填がないと生き残りはむずかしい。
 
この経営体質を強化するために地方局を合併・集約しようという試みは、これまで何度も試みられてきたが、その都度、政治家に阻まれてきた。彼らにとっては、地方局の経営がいいか悪いかなどどうでもよい。自分のお国入りを放送してくれるのは、自分がコントロールできる県域局だからこそであって、それが他の局と合併したら「宣伝塔」として使えなくなってしまう。地方民放の経営者も、一本化調整で選ばれた地元の名士にすぎないので、経営のことはほとんどわからない。こうした弱小局が日本民間放送連盟(民放連)の大部分を占めているため、業界の合理化がほとんど進まないのである。

『新・電波利権』(PDF1.6MB)