アゴラ研究所と株式会社レアリゼは、5月からASBSというビジネススクールを始める。これは企業の社内研修を請け負うものだが、従来のように問題を解決する教育ではなく、新しい問題発見の能力を養成するものだ。
この違いは意外に大きい。学校教育は問題を与えてそれを解くための知識を教えるが、これでは今までなかった理論はつくれない。たとえば1905年に、あなたがそれまでの物理学の理論と実験データをすべて知っていたとしても、相対性理論を発見することはできなかっただろう。事実から仮説は帰納できないのだ。
これは機械学習と人工知能の違いでもある。顔のモデルをコンピュータに与えれば機械学習で本人認証できるが、モデルなしに風景の画像をいくら与えてもコンピュータは物体を認識できない。目的なしにいくら「ビッグデータ」を集めても、コンピュータが目的をつくることはできないので、「自分で考える機械」という意味での人工知能は不可能なのだ。
モデルが事実をつくる
たとえば猫の画像をたくさん与えて猫を認識させることはできるが、犬は認識できない。それを認識させるためには犬の画像を…と無限に多くのモデルを与えない限り、すべての「物体」は認識できない。これは生物学でもわかっており、たとえばミミズのような環形動物の認識する外界は連続で、明暗しか判別できない。つまりモデルが事実をつくるのであって、その逆ではない。これは300年前にヒュームが指摘した近代哲学の最大のアポリアで、今までそれを解いた哲学者はいない。だからコンピュータが人間を超える「シンギュラリティ」は幻想なのだ。
これは科学史の言葉でいうとパラダイムの問題である。与えられたパラダイムの中で理論から結果を導くアルゴリズムはあるが、何もないところからパラダイムを創造するアルゴリズムは存在しない。いいかえれば新しい問題を発見するルールはないので、それ自体を教えることはできない。
問題発見は狭い意味での知識の問題ではなく、多くの経験やコミュニケーションから生まれるものだが、経験が多いほど新しい発見ができるわけではない。むしろアインシュタインのように専門外の人が大発見をする場合も多い。それが学問のおもしろさである。