1980年代まで日本企業は世界経済のリーダーであり、来たるべきデジタル革命の中心になると思われていた。その中心が江副浩正ひきいるリクルートだったが、いまリクルートの社史に創業者の名前はない。リクルート事件とともに彼の名は歴史から抹消されようとしているが、その再評価が必要だと思う。
リクルートは就職情報誌から出発したが、80年代に不動産で巨額の利益を上げた。そのころ私も何度か彼を取材したが、土地問題では「固定資産税を上げるべきだ」と主張していたことが印象的だった。当時、財界は増税に反対だったが、合理主義者の江副は、土地の保有コストを上げて不動産市場を流動化しないと開発が進まないと考えたのだ。
江副が不動産で上げた巨額の利益を注ぎ込んだのが情報産業だった。NTTの真藤総裁に食い込んで専用線のリセールやコンピュータの時間貸しなどの事業を始めた。真藤もNTTの官僚体質を変える外人部隊としてリクルートを活用し、公社時代だったら癒着と批判されるぐらい密接に連携して新しい通信サービスを売り込んだ。
それが結果的には仇になった。NTTは民営化されたとはいえ特殊会社であり、NTT社員は「みなし公務員」なので、未公開株の譲渡が贈賄に問われたのだ。真藤を初めとする改革派エリートが起訴されて失脚し、「公社のカルチャーを捨てて民間企業になれ」という真藤路線は180度転換され、日本のデジタル革命は挫折してしまった。
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リクルートは就職情報誌から出発したが、80年代に不動産で巨額の利益を上げた。そのころ私も何度か彼を取材したが、土地問題では「固定資産税を上げるべきだ」と主張していたことが印象的だった。当時、財界は増税に反対だったが、合理主義者の江副は、土地の保有コストを上げて不動産市場を流動化しないと開発が進まないと考えたのだ。
江副が不動産で上げた巨額の利益を注ぎ込んだのが情報産業だった。NTTの真藤総裁に食い込んで専用線のリセールやコンピュータの時間貸しなどの事業を始めた。真藤もNTTの官僚体質を変える外人部隊としてリクルートを活用し、公社時代だったら癒着と批判されるぐらい密接に連携して新しい通信サービスを売り込んだ。
それが結果的には仇になった。NTTは民営化されたとはいえ特殊会社であり、NTT社員は「みなし公務員」なので、未公開株の譲渡が贈賄に問われたのだ。真藤を初めとする改革派エリートが起訴されて失脚し、「公社のカルチャーを捨てて民間企業になれ」という真藤路線は180度転換され、日本のデジタル革命は挫折してしまった。
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