人類の起源、宗教の誕生: ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき (平凡社新書)
学術会議をめぐる騒ぎの隠れた主人公は、前会長の山極寿一氏である。彼は学術会議が2017年に軍事研究の禁止を提言したときの幹事であり、京大が2018年に軍事研究の禁止を決めたときの総長である。

こういう平和主義は彼の学問的信条でもあるらしく、本書でも(彼の専門である)ゴリラは暴力的ではないと説明している。哺乳類の死因のうち暴力は0.3%だが、霊長類では2%だという。人類も歴史を通じてみると2%程度だが、3000年前から上がって15~30%になったという。

人類と戦争の関係については長い論争があるが、最近多いのは、ピンカーのように近代以前の人類は平均15~20%が戦争で死んだという見方だ。彼は狩猟採集時代から一貫して殺人が多かったと考えている。E.O.ウィルソンも、暴力の抑止が遺伝的な集団淘汰の最大の要因だと考えている。

農耕社会が戦争を生んだ?

これに対して山極氏は、戦争が始まったのは農耕社会になってからだという。次の図は彼の引用しているNatureの論文の図だが、Mesolithic(1万5000年前~)には暴力による死亡率は約10%だが、その後は減り、Iron age(5200年前~)から増えてPost-classic(2800年前~)には約30%に増えている。

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このデータが正しいとすれば、狩猟採集時代(Paleolithic)には殺人による死亡率はゼロに近かったので、人間の遺伝子には「殺人本能」はないはずだ。ではそれが農耕時代に30%にも上がったのはなぜか。

それは狩猟民が農耕社会を襲撃して農産物を奪うようになり、農耕民との戦争が起こったからだと考えられる。農耕民は国家をつくって狩猟民から身を守り、Modern age(2500年前~)には死亡率が5%以下に下がった。

だとすれば暴力が激しくなったのは農耕社会初期の特殊な出来事なので、それを人間の本性と考えるウィルソンの社会生物学は誤っていることになる。

同様の批判は考古学にもあり、化石全体をみると頭蓋骨の損傷率はそれほど高くないという。損傷した頭蓋骨だけをみると人為的につけられた傷が多いが、それは特殊な人骨だけを見たバイアスだという。外傷のない頭蓋骨は学会報告に出てこないからだ。

このへんは1次資料がわからないと何ともいえないが、進化論を現代社会に持ち込んで憲法の平和主義を賞賛する山極氏の短絡的ヒューマニズムはいただけない。これは今西錦司以来の悪しき伝統だろう。