Black Lives Matterはウィスコンシン州の銃撃事件で再燃し、トランプ大統領はこれを政治的に利用している。日本人には想像がつかないが、黒人問題はアメリカ人が永久に背負わされた十字架であり、黒人暴動がいかに粗暴であっても、白人は謝罪し続けるしかない。それは資本主義の原罪だからである。
本書は1944年に出版された本の邦訳である。今では実証的に疑問もあるが、西インド諸島の奴隷経済がイギリス産業革命の原因であって、その逆ではないという「ウィリアムズ・テーゼ」は、ウォーラーステインに近代世界システム論の先駆と評価された。著者はカリブ海の黒人解放運動を指導し、のちにトリニダード・トバゴの首相になった。
といっても黒人の恨みつらみが書いてあるわけではなく、客観的データで奴隷制がいかにして資本主義を生んだかを論じている。新大陸のプランテーションで最初に使われたのは先住民だったが、彼らは疫病に弱く、労働力としては役に立たなかった。
そのあと使われたのはヨーロッパから連れてきた白人だったが、劣悪な労働条件では労働者は十分集まらなかった。特にプランテーションの中心だったカリブ海では黄熱病とマラリアが流行したが、白人はこれに弱かった。その穴を埋めたのが、アフリカから輸入した1500万人の黒人奴隷だった。

黒人は黄熱病とマラリアに免疫があったので、カリブ海ですぐれた労働力になった。黒人奴隷は商品として自由貿易の対象だったので、安価で供給量も十分だった。西アフリカから輸入した奴隷を使ってカリブ海で砂糖を生産してイギリスに輸出し、イギリスがアフリカに織物を輸出する三角貿易による膨大な利潤が、資本の「本源的蓄積」になったのだ。
奴隷は合衆国憲法で財産権の対象とされ、今も第4条では逃亡奴隷を持ち主に引き渡す義務が定められている(修正13条で上書き)。奴隷を「家畜」と考えれば、それを売買する自由は自然権として認められるはずで、それが非人間的な行為とされたのは、南北戦争で南部が負けた後である。
植民地は今も存在し、それを明示的に禁じる条約はない。しいていえば1928年の不戦条約が戦争を国際法違反としたが、このとき禁じられたのはそれ以後の戦争であり、ヨーロッパ諸国が1928年までに世界につくった植民地は既得権として認められたのだ。
もちろん現代の基準ではどちらもよくないことは自明だが、その基準を500年前に適用して当時のイギリスの奴隷商人を裁くのは法の遡及適用である。まして何の責任もない現代の白人が、奴隷制の歴史を黒人に謝罪する理由はない。これはキリスト教的な贖罪意識による錯覚である。奴隷制は、アメリカ人の原罪なのだ。
韓国人が慰安婦問題のときアメリカでロビー活動をやったとき利用したのは、この贖罪意識だった。日本が植民地支配に謝罪しろというのもその延長上で出てきた話だが、こういう錯覚を利用して「性奴隷」を断罪してきたアメリカ人が、自国の奴隷問題に何もいえないのは自業自得である。
本書は1944年に出版された本の邦訳である。今では実証的に疑問もあるが、西インド諸島の奴隷経済がイギリス産業革命の原因であって、その逆ではないという「ウィリアムズ・テーゼ」は、ウォーラーステインに近代世界システム論の先駆と評価された。著者はカリブ海の黒人解放運動を指導し、のちにトリニダード・トバゴの首相になった。
といっても黒人の恨みつらみが書いてあるわけではなく、客観的データで奴隷制がいかにして資本主義を生んだかを論じている。新大陸のプランテーションで最初に使われたのは先住民だったが、彼らは疫病に弱く、労働力としては役に立たなかった。
そのあと使われたのはヨーロッパから連れてきた白人だったが、劣悪な労働条件では労働者は十分集まらなかった。特にプランテーションの中心だったカリブ海では黄熱病とマラリアが流行したが、白人はこれに弱かった。その穴を埋めたのが、アフリカから輸入した1500万人の黒人奴隷だった。

黒人は黄熱病とマラリアに免疫があったので、カリブ海ですぐれた労働力になった。黒人奴隷は商品として自由貿易の対象だったので、安価で供給量も十分だった。西アフリカから輸入した奴隷を使ってカリブ海で砂糖を生産してイギリスに輸出し、イギリスがアフリカに織物を輸出する三角貿易による膨大な利潤が、資本の「本源的蓄積」になったのだ。
道徳の遡及適用が「贖罪意識」を刺激する
これを著者のような立場から道徳的に非難することは容易だが、意外なことに本書はそれを否定し、「当時の政治・道徳思想は、当時の経済的発展との関係で論じなければならない」という。これはマルクス主義の「下部構造決定論」ともいえるが、奴隷制も植民地支配も自然法的な自明の悪ではない。奴隷は合衆国憲法で財産権の対象とされ、今も第4条では逃亡奴隷を持ち主に引き渡す義務が定められている(修正13条で上書き)。奴隷を「家畜」と考えれば、それを売買する自由は自然権として認められるはずで、それが非人間的な行為とされたのは、南北戦争で南部が負けた後である。
植民地は今も存在し、それを明示的に禁じる条約はない。しいていえば1928年の不戦条約が戦争を国際法違反としたが、このとき禁じられたのはそれ以後の戦争であり、ヨーロッパ諸国が1928年までに世界につくった植民地は既得権として認められたのだ。
もちろん現代の基準ではどちらもよくないことは自明だが、その基準を500年前に適用して当時のイギリスの奴隷商人を裁くのは法の遡及適用である。まして何の責任もない現代の白人が、奴隷制の歴史を黒人に謝罪する理由はない。これはキリスト教的な贖罪意識による錯覚である。奴隷制は、アメリカ人の原罪なのだ。
韓国人が慰安婦問題のときアメリカでロビー活動をやったとき利用したのは、この贖罪意識だった。日本が植民地支配に謝罪しろというのもその延長上で出てきた話だが、こういう錯覚を利用して「性奴隷」を断罪してきたアメリカ人が、自国の奴隷問題に何もいえないのは自業自得である。