日本では新型コロナは「流行」の域に達しないで終わった。厚労省の抗体検査では、陽性率は東京で0.1%、大阪で0.17%。擬陽性率は0.2%で、検出限界以下である。これについて朝日新聞は「次の波が来たときに誰もが感染しうる。安心してはいけない」と不安をあおっているが、誰もが感染しうるなら、なぜ今コロナは収束したのか。



これは自明のようだが、標準的な疫学理論(SIRモデル)では、上の図の西浦モデルのように感染は指数関数で感染爆発し、人口の80%(1億人)が感染するまで止まらないはずだ。ところが実際の感染者数は1.7万人。予想の1/6000で収束した。その原因は、次の三つが考えられる。
  1. 自粛や緊急事態宣言などの介入の効果があった
  2. 感染しても重症化しにくい軽症の風邪だった
  3. 日本人が抗体以外の原因で感染しにくい
専門家会議はもっぱら1を強調しているが、これだけではこの大きな差は説明できない。ロックダウンしなかった東アジアの感染率が日本より低い原因もわからない。2では日本とヨーロッパの抗体陽性率(10~20%)の大きな差を説明できない。

消去法で考えると、日本人は(自然免疫や免疫交差反応などで)感染可能性(susceptibility)が低いと思われる。そして最初は感染しやすい(免疫力の弱い)高齢者に感染し、次第に感染しにくい人に感染して衰えたために自然に減衰したわけだ。すべての人が同じように感染するというSIRモデルには、実証的根拠がない。

こういう傾向は経験的に知られており、その変化はゴンペルツ曲線として描くことができる。これは生物の個体数やソフトウェアのバグの数の予想などに使われている。早川英輝氏がブログで日本の新規感染者数(PCR Positive)と武漢ウイルス(Wuhan strain)と欧州ウイルス(European strain)のゴンペルツ曲線をフィッティングしている。

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これはK値で感染率を計算する場合の「一定減衰仮定」とほぼ同じで、これは二重指数関数(指数関数の指数が指数関数になる)と同値である。これは理論的基礎のない経験則だが、生物には多い。人間も生物なので、物理学のような指数関数よりゴンペルツ曲線に従うのが自然だろう。

疫学は50年前の経済学の段階

こういう問題は経済学では1970年代に議論された。新古典派のようなミクロ理論はすっきりしていて美しいが、現実の経済は複雑なので予測能力がない。それをざっくり単純化したケインズ理論のような「どマクロ」は、理論としては美しくないが、大ざっぱな予測能力は高い。

この矛盾を解決するためにケインズ理論の「ミクロ的基礎」が論じられ、それ以来、40年ぐらい論争が続いたが、そういう動的均衡理論(DSGE)は複雑になるばかりで予測能力がないという結論が出た。今でも大学院ではDSGEを教えているが、実用的にはケインズ理論で十分である。

その歴史からみると、疫学は50年前の経済学ぐらいの発展途上の段階だろう。SIRモデルは1927年に論文の出た古い理論であり、マーシャルぐらいの新古典派理論と同じく単純だが、予測能力はまったくない。家畜には使えるようだが、人間の社会のような複雑なシステムの分析には向いていない。

これに対してゴンペルツ曲線やK値のような経験則は理論的にはすっきりしないが、過去のデータにフィッティングすればある程度の予測能力がある。少なくとも2桁もはずすことはない。

その経験則から考えると、SIRモデルのようにすべての人が感染可能で彼らがすべての人に感染させるという仮定は、単純すぎて使い物にならない。原理的には個人の免疫力は一人一人ちがうので、それを平均した基本再生産数には意味がない。特に初期の段階で計測された実効再生産数を一般化すると、過大な被害予測が出てしまう。

それを獲得免疫だけで考えると「1億人に感染する病気を介入で2万人に減らした」という空想になってしまう。こういう理論は忘れ、実測データに謙虚になる必要がある。