新型コロナについてイギリスの採用した集団免疫戦略が論議を呼んでいる。これは簡単にいうと国内で十分多くの人が感染したら流行が終わるという理論である。これを批判したブログが話題になっているが、これは間違っている。私は日本で集団免疫戦略は成り立つと思う。
感染力は、生物学的には基本再生産数R0で決まる。 これは1人の感染者が何人にウイルスをうつすかという指標で、R0=2だとすると2人。その2人がさらに2人にうつすと2nで感染者が増える。
現実の感染速度を決めるのは基本再生産数ではなく、実効再生産数Rである。これはR0と集団の中で免疫のない人の比率xの積で、
R=R0・x
と定義する。上の図でいうと、最初だれにも免疫のない状態ではR=2だが、感染が広がって集団の半分が免疫をもつとR=1になって感染が止まる。疫学の教科書によると、集団免疫が成り立つ免疫比率Hは、次のように決まる。
H=1-1/R0 (*)
この関係はこう考えればわかる:あるウイルスがR0=3だとすると、その集団の3人に1人に免疫があれば2人しか感染しない。2人が免疫を獲得すれば、感染するのは1人になって感染の拡大は終わる。したがってHが1-1/3=2/3のとき、集団免疫が成り立つ。
コロナの集団免疫を論じるとき、多くの人が「国民の60%が感染するまで集団免疫は成立しない」というのは、(*)式でR0=2.5と想定しているからだ。このとき
H=1-0.4=0.6
となるが、Rは下げることができる。わかりやすいのはワクチンで免疫を増やしてxを下げることだが、コロナのようにワクチンのない感染症でも、感染が拡大すると免疫が増えてxが下がり、Rは下がる。また日本のように清潔な国では感染確率が低いのでR0が下がり、Rは下がる。
実効再生産数は指数関数できいてくるので、これを下げる効果は大きい。(*)式でR0をRに置き換え、たとえば(日本で観測されている値に近い)R=1.1とすると、H=0.1となる。これは人口の10%(1200万人)が感染すると流行が終わるということで、インフルエンザに近い。
感染力は、生物学的には基本再生産数R0で決まる。 これは1人の感染者が何人にウイルスをうつすかという指標で、R0=2だとすると2人。その2人がさらに2人にうつすと2nで感染者が増える。
現実の感染速度を決めるのは基本再生産数ではなく、実効再生産数Rである。これはR0と集団の中で免疫のない人の比率xの積で、
R=R0・x
と定義する。上の図でいうと、最初だれにも免疫のない状態ではR=2だが、感染が広がって集団の半分が免疫をもつとR=1になって感染が止まる。疫学の教科書によると、集団免疫が成り立つ免疫比率Hは、次のように決まる。
H=1-1/R0 (*)
この関係はこう考えればわかる:あるウイルスがR0=3だとすると、その集団の3人に1人に免疫があれば2人しか感染しない。2人が免疫を獲得すれば、感染するのは1人になって感染の拡大は終わる。したがってHが1-1/3=2/3のとき、集団免疫が成り立つ。
コロナの集団免疫を論じるとき、多くの人が「国民の60%が感染するまで集団免疫は成立しない」というのは、(*)式でR0=2.5と想定しているからだ。このとき
H=1-0.4=0.6
となるが、Rは下げることができる。わかりやすいのはワクチンで免疫を増やしてxを下げることだが、コロナのようにワクチンのない感染症でも、感染が拡大すると免疫が増えてxが下がり、Rは下がる。また日本のように清潔な国では感染確率が低いのでR0が下がり、Rは下がる。
実効再生産数は指数関数できいてくるので、これを下げる効果は大きい。(*)式でR0をRに置き換え、たとえば(日本で観測されている値に近い)R=1.1とすると、H=0.1となる。これは人口の10%(1200万人)が感染すると流行が終わるということで、インフルエンザに近い。
要するに唐木英明氏もいうように
この図でいうと、Rが大きい場合には急カーブになり、医療インフラが破綻するので、ゆるやかに感染させてカーブをフラットにし、医療の崩壊を防ごうというのが集団免疫戦略だが、これには批判も多い。
最大の問題は「国民の大部分が免疫になるまで感染させる」という発想の危険な印象である。集団免疫は予防接種でも使われる理論だが、インフルエンザのRは2程度なので、接種率50%が目標とされる。つまり全員が免疫をもたなくても半分の人が免疫をもてば、感染が拡大しないと考えるのだ。
ところがコロナには誰も免疫がなく、予防接種もない。この状態から50%の人が感染するまで放置するというのは、常識で考えると無謀な戦略である。日本で人口の半分(約6000万人)が感染すると、致死率0.5%としても30万人が死亡する。
私も最初はそう思ったのだが、(*)式で計算してみて考えが変わった。R=2.5というWHOの上限値と1.4という下限値では、R=1となる集団免疫率Hが60%と30%という大きな差が出るのだ。R=1.1だとHは11%、R=1.01だとHは1%になるが、それでも120万人だ。
他方、日本国内の感染者は680人で、新規感染者はほとんど増えていない。これがR=1に近い再生産数で120万人になることは、まず考えられない。それどころか今月中には、感染者がピークアウトして減り始めるだろう。
この日本の再生産数の低さは驚異的である。私はコロナについては最初から一貫して楽観的だったが、ここまで感染力が低いとは思わなかった。その結果、感染のピークも低くなり、日本はおそらく先進国で最初にコロナから解放されるだろう。
基本再生産数についてはいろいろな推定があり、1.7という数字もあるが、それに対して(社会的要因を含む)実効再生産数が1だとすると、生物学的な要因以外の日本社会の特殊性が大きいのだろう。
中国は武漢を封鎖するなど公権力を発動して移動を制限したが、日本では法的拘束力のない「自粛要請」だけで、多くの集会やイベントが自発的に中止された。その同調圧力は、社会主義国の権力より強いのかもしれない。
新型コロナ騒動は、集団免疫を得るまでは終わらない。そうであれば、厳しい対策により感染者をゼロに近づけようと努力するのではなく、ドイツや英国に倣つて、医療崩壊を起こさないように注意しながら、ある程度の感染を容認して、集団免疫を得ることを考えるべきではないだろうか。
実効再生産数の驚異的な低さ
国の専門家委員会は3月9日の見解で「実効再生産数はおおむね1程度」だと表明したが、これが事実だとすると、感染の拡大はすでに止まったということになる。R=1なら新規感染者は増えなくなり、そのうちR<1になってピークアウトするからだ。この図でいうと、Rが大きい場合には急カーブになり、医療インフラが破綻するので、ゆるやかに感染させてカーブをフラットにし、医療の崩壊を防ごうというのが集団免疫戦略だが、これには批判も多い。
最大の問題は「国民の大部分が免疫になるまで感染させる」という発想の危険な印象である。集団免疫は予防接種でも使われる理論だが、インフルエンザのRは2程度なので、接種率50%が目標とされる。つまり全員が免疫をもたなくても半分の人が免疫をもてば、感染が拡大しないと考えるのだ。
ところがコロナには誰も免疫がなく、予防接種もない。この状態から50%の人が感染するまで放置するというのは、常識で考えると無謀な戦略である。日本で人口の半分(約6000万人)が感染すると、致死率0.5%としても30万人が死亡する。
私も最初はそう思ったのだが、(*)式で計算してみて考えが変わった。R=2.5というWHOの上限値と1.4という下限値では、R=1となる集団免疫率Hが60%と30%という大きな差が出るのだ。R=1.1だとHは11%、R=1.01だとHは1%になるが、それでも120万人だ。
他方、日本国内の感染者は680人で、新規感染者はほとんど増えていない。これがR=1に近い再生産数で120万人になることは、まず考えられない。それどころか今月中には、感染者がピークアウトして減り始めるだろう。
この日本の再生産数の低さは驚異的である。私はコロナについては最初から一貫して楽観的だったが、ここまで感染力が低いとは思わなかった。その結果、感染のピークも低くなり、日本はおそらく先進国で最初にコロナから解放されるだろう。
基本再生産数についてはいろいろな推定があり、1.7という数字もあるが、それに対して(社会的要因を含む)実効再生産数が1だとすると、生物学的な要因以外の日本社会の特殊性が大きいのだろう。
中国は武漢を封鎖するなど公権力を発動して移動を制限したが、日本では法的拘束力のない「自粛要請」だけで、多くの集会やイベントが自発的に中止された。その同調圧力は、社会主義国の権力より強いのかもしれない。