マイナス金利が構造的な長期停滞の兆候だとすれば、それは資本主義の黄金時代が終わったことを暗示している。ロバート・ゴードンもいうように、物的資本を投下して収益(金利)を生む産業革命以来の物的資本主義は終わったが、その後に来るのも資本主義だろう。

しかしこれから価値を生むのは物的資本でも人的資本でもなく、情報や権利などの無形資本である。それが半導体としてハードウェアになるか、文字列としてソフトウェアになるかは本質的な問題ではない。重要なのは、それをコントロールするルールである。「知的財産権」は情報の配分に大きなゆがみをもたらしたが、それよりましな制度は実用化できない。

市場経済が「資源の効率的な配分」をもたらすので、政府の役割は外部性などの例外的な「市場の失敗」を補正することだけだという新古典派の物語の適用範囲は、最初から限られていた。この物語の元祖とされるロナルド・コースは、実は社会的コストの問題を財産権で解決することには限界があると述べていた。市場では財産の初期分配を決めることができないからだ。

独占レントをどう分配するか

これは今後の資本主義を考える上でも重要な問題である。物的資本主義が終わって無形資本が主役になるということは、経済学でいう「準レント」の比率が上がるということだ。これは才能や幸運による利益で、労働時間とは対応しない。ビル・ゲイツの資産が10兆円だということは、彼がマイクロソフトの労働者の100万倍働いたことを意味しない。それは彼がギャンブルで勝ち続けたことを示すだけだ。

レント(地代)をどう分配するかという問題に、経済学は答えられない。労働生産物の分配は自己労働の成果だという擬制で考えることができるが、土地は労働生産物ではないので「正しい分配」は存在しない。これはジョン・ロック以来のパラドックスで、いまだに答はない。

資本主義の利益は本質的に独占レントであり、完全競争では利益は生まれない。かつてITが超競争的な「摩擦のない資本主義」を生み出すと予想された時代もあったが、いま世界を支配しているのは、逆にGAFAのようなグローバルな独占資本である。

これもコースの予想したことだった。彼は「企業に規模の経済があるのなら、最適規模は無限大になる。なぜ世界が一つの企業で支配されないのか?」という問いを提起した。これはその後の経済学でも答えられない問題だが、GAFAはこの問いが正しかったことを示している。

21世紀の資本主義では、生産のボトルネックになる物的資本も人的資本も制約ではなくなるので、企業の規模が拡大すると単調にコストが下がる。したがって最適規模は世界をすべて支配することであり、それによって独占レントは最大化される。これを日本政府が規制でコントロールすることはできない。

独占は過大なレントと過少な投資をもたらすので動学的に非効率な状態を生み、富の集中をもたらして所得分配を不公平にする。それを是正できるのは、過剰な資本を使える政府だけだ。資本蓄積ですべての人が豊かになる時代が終わった21世紀は、大きな政府の時代になるのかもしれない。