仮想通貨は、最近始まったものではない。実体をもたない仮想的な証券という意味では、株式も債券も「仮想通貨」である。このような広い意味での仮想通貨が、世界で最初に発達したのが日本だった。大坂の堂島には全国の大名が年貢として徴収した米が集まり、1650年ごろまでには市場ができた。
ここで取引されたのは米ではなく、大名が米の代金(銀)を受け取ったという「米切手」と呼ばれる証文だった。これは1枚で1.5トンの米に相当するが、堂島ではこれが米に交換されることはなく、米切手が取引された。したがって堂島は、米市場というより証券市場といったほうがいい。
ここまでは同時代のヨーロッパにもあるが、堂島の特徴は先物取引が行われたことだ。これは「帳合い」と呼ばれ、米切手を売って一定期間後に買い戻し(あるいはその逆)、決済のときその差額を相殺する。今の株式の信用取引のようなものだが、決済しても米は動かないので、日経225のような指数先物取引に近い。
このような洗練された証券市場が日本で発達したのは、契約が確実に実行される信頼関係があったからだ。契約を担保したのは法的な強制力ではなく、商人の濃密な人間関係だった。取引に参加できるのは市場のメンバーと面識のある商人に限られ、帳合いの取引履歴は取引所で集中管理され、一度でもデフォルトした商人は追放された。
米切手の流通が確立すると、大名は実際にある米の分量を超えて「信用創造」できる。米切手は米と交換しないで転々と流通しているときは「空米切手」を発行してもわからないが、御家騒動になったりすると「取り付け」が起こり、金融危機が発生する。久留米藩の取り付け騒動のときは、「米準備率」はわずか1.2%だったという。
幕府は当初こうした投機的取引を規制したが、取引の規模が大きくなると(米がないのに切手を発行する)「空米切手」を禁止するなど、商人の財産権を保護するようになった。本書はこういう経緯を細かく追っていてわかりにくいが、基本的に堂島は米市場の中で商人が自主管理しており、幕府の役割は本質的ではない。
江戸時代の日本人は、世界でもっとも洗練された市場メカニズムをもっていた。それは例外的に平和だったおかげで、このように価格メカニズムが機能したことが、明治以降に急速にヨーロッパにキャッチアップできた基盤だろう。
「取り付け」や「空売り」や「手仕舞い」や「鞘寄せ」など、相場用語には江戸時代にできたものが多い。空売りは米切手を先物で売ることで、手仕舞いはそれを決済することだ。買う前に売って差額を決済して現物と先物の価格を裁定で一致させる「鞘寄せ」は、電子決済の今なら何でもないが、300年前にはきわめて高度なシステムで、全員がそのしくみを理解していないと機能しない。
幕末には各藩の財政破綻で先物取引は混乱し、現物と先物の鞘寄せもできず、決済できなくなることが増えたため、1869年に堂島の帳合い米商いは政府の停止処分を受け、今に至っている。世界最先端だった堂島の米先物市場は、最近ようやく商品先物市場の一部として認められたが、まだ正式に上場もできない。その理由は農水省によれば「米が投機の対象になるから」だそうである。
ここで取引されたのは米ではなく、大名が米の代金(銀)を受け取ったという「米切手」と呼ばれる証文だった。これは1枚で1.5トンの米に相当するが、堂島ではこれが米に交換されることはなく、米切手が取引された。したがって堂島は、米市場というより証券市場といったほうがいい。
ここまでは同時代のヨーロッパにもあるが、堂島の特徴は先物取引が行われたことだ。これは「帳合い」と呼ばれ、米切手を売って一定期間後に買い戻し(あるいはその逆)、決済のときその差額を相殺する。今の株式の信用取引のようなものだが、決済しても米は動かないので、日経225のような指数先物取引に近い。
このような洗練された証券市場が日本で発達したのは、契約が確実に実行される信頼関係があったからだ。契約を担保したのは法的な強制力ではなく、商人の濃密な人間関係だった。取引に参加できるのは市場のメンバーと面識のある商人に限られ、帳合いの取引履歴は取引所で集中管理され、一度でもデフォルトした商人は追放された。
長い平和が洗練された市場を生んだ
こういう評判メカニズムは経済学でもよく知られており、世界中に遍在する。グライフのマグレブ商人についての研究が有名だが、堂島のように大規模で高度な評判メカニズムが17世紀にできたのは、日本人の長期的関係が高度に発達していたからだろう。米切手の流通が確立すると、大名は実際にある米の分量を超えて「信用創造」できる。米切手は米と交換しないで転々と流通しているときは「空米切手」を発行してもわからないが、御家騒動になったりすると「取り付け」が起こり、金融危機が発生する。久留米藩の取り付け騒動のときは、「米準備率」はわずか1.2%だったという。
幕府は当初こうした投機的取引を規制したが、取引の規模が大きくなると(米がないのに切手を発行する)「空米切手」を禁止するなど、商人の財産権を保護するようになった。本書はこういう経緯を細かく追っていてわかりにくいが、基本的に堂島は米市場の中で商人が自主管理しており、幕府の役割は本質的ではない。
江戸時代の日本人は、世界でもっとも洗練された市場メカニズムをもっていた。それは例外的に平和だったおかげで、このように価格メカニズムが機能したことが、明治以降に急速にヨーロッパにキャッチアップできた基盤だろう。
「取り付け」や「空売り」や「手仕舞い」や「鞘寄せ」など、相場用語には江戸時代にできたものが多い。空売りは米切手を先物で売ることで、手仕舞いはそれを決済することだ。買う前に売って差額を決済して現物と先物の価格を裁定で一致させる「鞘寄せ」は、電子決済の今なら何でもないが、300年前にはきわめて高度なシステムで、全員がそのしくみを理解していないと機能しない。
幕末には各藩の財政破綻で先物取引は混乱し、現物と先物の鞘寄せもできず、決済できなくなることが増えたため、1869年に堂島の帳合い米商いは政府の停止処分を受け、今に至っている。世界最先端だった堂島の米先物市場は、最近ようやく商品先物市場の一部として認められたが、まだ正式に上場もできない。その理由は農水省によれば「米が投機の対象になるから」だそうである。



