ブランシャール=田代論文が描いている日本の財政の姿は、財務省のレクを受け売りする日本のマスコミではお目にかかれない。次の図は日本の影の金利を示したものだ。

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影の金利は「量的緩和の下で採用された政策と同様の効果を政策金利の低下によって実現した場合における政策金利の水準」として定義され、直近ではマイナス8.3%だが、財政赤字(GDPの約3%)がなかったら、影の金利はこれより3%低い。すなわち政策金利をマイナス11%以下にする必要がある。金融政策だけで日本経済が長期停滞から脱却することは不可能なのだ。

問題は今の政府債務が大きすぎるのかということだが、債務(ストック)をGDP(フロー)で割るのは無意味な指標だ。政府の利払い費をみると、政府資産からの受取利息を引いたネットの利払い費は0.4%と、1990年の1/3になっている。

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財務省のいうほど日本の財政は危機的ではないわけだが、最大の問題は財政赤字を増やすと金利が上昇し、財政インフレが起こるのではないかということだ。今後、景気が回復して金利が正常化することも考えられるが、それは心配する必要がない。ゆるやかに金利が上がるのは財政政策も対応できる。

国債の暴落はコントロールできるのか

危険なのは(なんらかの理由で)投資家が日本政府の支払い能力に疑問を抱き、国債が暴落した場合である。国債を買い支えるために日銀が80兆円ぐらい買い取ると高率のインフレになり、実質債務のデフォルトが起こる可能性がある。そのリスクはきわめて小さいが、何も備えないわけには行かない。

それを防ぐには国債を日銀券で買い取るのではなく、準備預金(日銀当座預金)に振り替えれば統合政府(政府+日銀)の支払い能力は影響を受けない、というのが彼らの答である。これは日銀券とは違ってそのまま現金として流通するわけではなく、民間銀行との間で増減するので金利で調整できる。高い金利をつけると、民間銀行は準備預金を日銀に預けるので、マネーストックはあまり増えないだろう。

海外投資家が日本国債を売り崩しにきた場合は、日銀がすべての国債を買い取ると宣言すれば暴落は防げるという。このへんはブランシャールも「推測だ」と断っているが、国債が暴落してハイパーインフレになる(きわめて小さな)リスクと、財政赤字を削減してさらに大きなマイナス金利になる(大きな)リスクの費用対効果が問題だ。

日本政府の信認が失われた場合には、日銀にできることは少ない。財政インフレは、最終的には増税か歳出削減で止めるしかない。この点については彼は、MMTのような荒っぽい話ではなく、財政をどうルール化するかについて検討している。

おもしろいのは「消費増税をcontingency planとして温存してはどうか」という話だ。つまり今年の秋の増税を凍結して「財政危機が顕在化した場合に緊急増税する予備財源」として、いつでも使えるようにするという案だ。

財政赤字の費用対効果

問題は増やした財政赤字を何に使うのかということだが、このへんはかなりあやしい。一つは日本の急速な高齢化がマイナス金利の原因なので、フランスのような少子化対策で子供に補助金を出せという。これは政治家にも受けがいいかもしれないが、大して役には立たないだろう。

企業や家計の消費が少ない原因として、高齢化で将来の負担が重くなるという不安がある。これについての答は「社会保障給付の拡大」である。マクロ経済学的には賦課方式の社会保障は国債の発行と同じなので、これは理論的には正しいが、給付を増やすと逆に将来の負担が重くなるという不安が増すのではないか。

マイナス金利の最大の原因は企業の貯蓄過剰である。これについて彼は「企業の債務を政府に移転する救済」を提案しているが、これは意味不明だ。金融危機のあとならわかるが、今のような平時に企業を「救済」することはありえない。

長期的な問題は、日本が長期停滞から脱却する上で、財政政策がどの程度、役に立つのかということだ。これは金利<成長率(r<g)という状況がマクロ経済的な現象なのか構造的な問題なのか、という根本問題で、簡単には答が出せないが、日本ではこういう問題が世界でもっとも早くから顕在化し、もっとも長く続いていることは間違いない。

アメリカでは、そもそもr<gなのかという問題についても論争があるが、日本の政策金利(コールレート)は最初の図3のように、この20年ほぼ一貫してゼロからマイナスだった。しかし図5のように企業の利益率は最近では約3%で、名目成長率の平均0.6%より高く、リスク資産ではr>gとなっている。

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ここが理論的には一番むずかしいところで、資本主義の変質によってアマゾンやアップルのようなグローバル大企業に独占レントが集中し、利潤率は上がっているが、資本の生産性は上がっていない。財政赤字でクラウディングアウトされるのは独占レントなので、政府投資が生産的な用途に使われれば将来世代の利益になる。

この点はブランシャールも区別しており、国債については明らかにr<gなので財政コストはゼロだが、リスク資産についてはr>gなので、将来世代に負担を先送りする厚生コストはゼロではない。リスクを差し引いた長期金利はr<gだが、これはそれほど確実な傾向ではないので、r>gとなった場合は財政赤字は止めるべきだという。

最大の問題は、その財政赤字を何に使うのかということだ。この提言では少子化対策や温暖化対策などがあげられているが、説得力がない。潜在成長率を上げる用途が望ましいが、現在の世代が消費するだけでも需要不足を補って成長率が上がるのなら、ベーシック・インカムのような直接給付でもいいだろう。

これは暫定的な提言だが、彼の理論が日本で成り立たなかったら、世界のどこでも成り立たないだろう。逆に日本が「大胆な金融緩和」に続いて「大胆な財政赤字」を出す実験をすれば(よく悪くも)世界経済の実験台としての意味は大きい。それがこの提言の日本語訳を出し、日本語のツイートまで出した理由だろう。