本書は2017年の会議の論文集で、Blanchard-Summersはその内容をアップデートしているが、日本についての言及が目立つ。20年前にゼロ金利が世界で最初に始まったのが日本だが、今はそれが先進国全体に広がっているので、他の国は日本の経験に学ぶ必要がある。
日本の政府債務の激増と過激な量的緩和は、おおむね正しかったと彼らは評価しているが、それでもゼロ金利は脱却できない。財政政策の余地は限られ、金融政策はきかなくなった。もっと大きなマイナス金利にすることも(理論的には)考えられるが、銀行の経営不安をまねき、かえって貸し出しが減るリバーサル・レートの問題が発生するおそれがある。
GDPの1.5倍を超えた日本の政府債務を、これ以上増やすのは危険だ。今のところ国債は順調に消化されているが、投資家が不安を抱いて金利が上がると大幅な歳出カットを迫られ、財政が混乱するおそれがある。増税も歳出カットも政治的に困難なので、国債以外の(返済しなくてもいい)政府債務で調節することが考えられる。その一つの方法は、賦課方式の社会保障支出を増やすことだという。
年金給付は巨額の歳出が調整でき、オフバランスの政府債務なので債券市場にも影響を与えない。現在の過剰給付は問題だが、それを削減するスピードを調整するだけで財政支出が調節できる。いずれにせよ金融政策は有効性を失い、財政政策との協調が必要になったので、中央銀行の独立性というドグマを捨てるときだ。
しかし1970年代にイギリス経済が行き詰まったとき、当時の労働党政権はこれをケインズ的な景気対策で打開しようとして、石油危機後のスタグフレーションで崩壊した。これに対してサッチャー首相が打ち出したのが「マネタリズム」だった。彼女がその意味を理解していたとは思えないが、大不況の最中に金利を上げるという前代未聞の政策でインフレは止まり、イギリス経済は立ち直った。
同時期にアメリカでもFRBのボルカー議長がマネタリズムをとり、スタグフレーションは終息した。このとき保守派の理論的支柱となったのが、「長期的にはインフレと失業は別の問題だ」というフリードマンの自然失業率の理論だった。それは1930年代のケインズ革命に比すべきフリードマン革命だったのだ。
自然失業率の理論はルーカスなどの「合理的期待」学派に受け継がれ、財政政策の効果は人々の予想を裏切るものでないかぎりきかないというのが世界の常識になった。マクロ経済学はミクロ経済学と本質的には同じ理論になり、ケインズ理論は終わった(と思われた)。MMTはフリードマン革命以前の素朴ケインズ理論の末裔であり、日本のネトウヨも似たようなものだ。
80年代以降は金融政策が経済安定化政策の主役になり、財政政策は政治的バイアスが大きく非効率的だとして否定された。ここでは金融政策を政治的圧力から守るためにFRBの独立性が保障され、FOMC(連邦公開市場委員会)の決定に政府は介入できないことになった。これは行政機関としては異例のしくみであり、司法権の独立のような憲法上の規定があるわけでもない。
中央銀行の独立性が立法化されたのは1990年代で、日本では1998年の日銀法改正のときだった。それまで大蔵省の下部機関だった日銀が独立性を守ることはその悲願だったが、黒田総裁は財政ファイナンスに舵を切った。しかし財務省は緊縮財政路線を変えなかったので、財政と金融の歯車は噛み合わなかった。
しかし今、時代はケインズの直面した「流動性の罠」と似た状況になり、金融政策の有効性は失われた。財政政策なしで経済の調整はできなくなったが、財政をコントロールする制度はケインズの時代から進歩していない。それが今ごろMMTが話題になる原因だが、もう一度ケインズの時代に立ち返って考え直す必要があるのかもしれない。
日本の政府債務の激増と過激な量的緩和は、おおむね正しかったと彼らは評価しているが、それでもゼロ金利は脱却できない。財政政策の余地は限られ、金融政策はきかなくなった。もっと大きなマイナス金利にすることも(理論的には)考えられるが、銀行の経営不安をまねき、かえって貸し出しが減るリバーサル・レートの問題が発生するおそれがある。
GDPの1.5倍を超えた日本の政府債務を、これ以上増やすのは危険だ。今のところ国債は順調に消化されているが、投資家が不安を抱いて金利が上がると大幅な歳出カットを迫られ、財政が混乱するおそれがある。増税も歳出カットも政治的に困難なので、国債以外の(返済しなくてもいい)政府債務で調節することが考えられる。その一つの方法は、賦課方式の社会保障支出を増やすことだという。
年金給付は巨額の歳出が調整でき、オフバランスの政府債務なので債券市場にも影響を与えない。現在の過剰給付は問題だが、それを削減するスピードを調整するだけで財政支出が調節できる。いずれにせよ金融政策は有効性を失い、財政政策との協調が必要になったので、中央銀行の独立性というドグマを捨てるときだ。
よみがえる素朴ケインズ理論
経済政策は1970年代のスタグフレーション以来の転換期を迎えている。1930年代の大恐慌では金融政策がきかなかったので、ケインズは政府が財政赤字で総需要を増やすべきだと考えた。この理論は戦後も受け継がれ、不完全雇用のときは政府が財政支出で「微調整」する政策がとられた。しかし1970年代にイギリス経済が行き詰まったとき、当時の労働党政権はこれをケインズ的な景気対策で打開しようとして、石油危機後のスタグフレーションで崩壊した。これに対してサッチャー首相が打ち出したのが「マネタリズム」だった。彼女がその意味を理解していたとは思えないが、大不況の最中に金利を上げるという前代未聞の政策でインフレは止まり、イギリス経済は立ち直った。
同時期にアメリカでもFRBのボルカー議長がマネタリズムをとり、スタグフレーションは終息した。このとき保守派の理論的支柱となったのが、「長期的にはインフレと失業は別の問題だ」というフリードマンの自然失業率の理論だった。それは1930年代のケインズ革命に比すべきフリードマン革命だったのだ。
自然失業率の理論はルーカスなどの「合理的期待」学派に受け継がれ、財政政策の効果は人々の予想を裏切るものでないかぎりきかないというのが世界の常識になった。マクロ経済学はミクロ経済学と本質的には同じ理論になり、ケインズ理論は終わった(と思われた)。MMTはフリードマン革命以前の素朴ケインズ理論の末裔であり、日本のネトウヨも似たようなものだ。
80年代以降は金融政策が経済安定化政策の主役になり、財政政策は政治的バイアスが大きく非効率的だとして否定された。ここでは金融政策を政治的圧力から守るためにFRBの独立性が保障され、FOMC(連邦公開市場委員会)の決定に政府は介入できないことになった。これは行政機関としては異例のしくみであり、司法権の独立のような憲法上の規定があるわけでもない。
中央銀行の独立性が立法化されたのは1990年代で、日本では1998年の日銀法改正のときだった。それまで大蔵省の下部機関だった日銀が独立性を守ることはその悲願だったが、黒田総裁は財政ファイナンスに舵を切った。しかし財務省は緊縮財政路線を変えなかったので、財政と金融の歯車は噛み合わなかった。
しかし今、時代はケインズの直面した「流動性の罠」と似た状況になり、金融政策の有効性は失われた。財政政策なしで経済の調整はできなくなったが、財政をコントロールする制度はケインズの時代から進歩していない。それが今ごろMMTが話題になる原因だが、もう一度ケインズの時代に立ち返って考え直す必要があるのかもしれない。