最近は日本でもMMT(Modern Monetary Theory)が話題になってきたが、これはアメリカの問題ではない。「政府が自国通貨を印刷できる限り財政赤字は問題ではない」というMMTの主張はヘリコプターマネーとほぼ同じで、日本は大規模なヘリマネをすでに実行している。著者も指摘するように、日銀の「異次元緩和」は、財政赤字を中央銀行が埋める点ではヘリマネと同じだ。
違うのはあくまでも日本の国債は将来、償還するという建て前になっていることだ。日銀の量的緩和はインフレ目標を実現するためで、財政ファイナンスではないというのが黒田総裁の公式見解だが、それを信じる人は少ない。財政ファイナンス(本書ではマネタリーファイナンス)は法的には禁じられていないし、禁じる理由も明らかではない。「財政規律が失われる」というが、財務省への信頼は高い。
問題はそこではない。日本の財政が危機的だという診断は著者も同じだが、その処方箋はまったく違う。政府の過剰債務の原因は、1990年代のバブル崩壊から始まった民間の過剰債務だった。それを生み出したのは、決済機能という公共インフラを私的な銀行が独占して通貨を増殖させる信用創造というシステムだ。そのリスクは財政ファイナンスより大きい、というのが著者の警告である。
ITの発達で地理的な制約がなくなった時代に不動産の価格が上がっているのは奇妙にみえるが、その原因は設備投資コストの減少である。一般の財・サービスに比べて資本財のコストは、1990年から2014年までに33%下がった。その最大の原因は、物理的な設備がITに置き換えられたからだ。
その結果、先進国では地方で広い土地を必要とする工場が減り、大都市の都心部にオフィスを立地する企業が増えた。こういう企業の土地あたりの生産性は高いので、地価は上がり、不動産担保融資が増えた。これは狭い意味の不動産業への融資ではなく、土地集約的なサービス業への融資である。
こうした再開発にもメリットはあるが、その弊害はきわめて大きい。銀行は短期で借りた預金を企業に長期で貸して利益を上げているが、これは預金者の無知につけこむビジネスであり、彼らが一挙に取り付けに走ると銀行システムは破綻する。その保険として預金準備率が規制で決められているが数%と低く、金融危機には役に立たない。
安全なのは預金準備率を100%に規制して銀行を「ナローバンク」にするシカゴ・プランである。これはアーヴィング・フィッシャーやミルトン・フリードマンも提案したが、銀行が信用創造できないので強く反対した。次善の策は(著者もイギリス金融庁長官として試みた)銀行の自己資本比率規制だが、これにも銀行業界が抵抗して中途半端に終わった。
しかし世界的に企業が貯蓄過剰になり、金利がマイナスになる状況で、従来型の銀行に未来はない。それを示したのが日本である。1998年から始まった企業の貯蓄過剰は、世界的なデレバレッジ(債務解消)の先駆けだった。その後の長期にわたる低インフレ・低金利は、ビジネスとしての役割を終えた銀行が、ゆるやかにナローバンクになる「安楽死」である。
これはヘリコプターから紙幣をばらまく必要はなく、国債を中央銀行が買い取って相殺すれば、統合政府のバランスシートでみると政府債務は消える。財政ファイナンスは金融政策のタブーだが、日本はすでに史上空前の規模でそれを実施している、と著者は指摘する。
日銀はすでに政府債務の4割を保有しており、国債の金利は国庫納付金として全額、政府に払っているので、日銀の保有する国債は無利子である。それを日銀が売却することも事実上できないので永久債だから、政府債務は「マネタイズ」されているのだ。それを日銀が認めればヘリマネになる。
これによって政府債務は相殺できるが、財政赤字が無限に増えると解釈され、通貨の信認が失われて財政インフレが起こるかもしれない。そういうリスクは著者も認めるが、このまま日本政府の過剰債務を放置すると、それが次の金融危機の発火点になるリスクもある。どっちのリスクが大きいかというのが、本書のタイトルにもある「債務か悪魔か」という問題である。
日本の政府債務はすべて償還できないし、する必要もないが、過剰債務を先送りしていると長期停滞が続き、思わぬきっかけで急激な債務整理を強いられるのが過去の金融危機の教訓だ。そうなってからアドホックな対応をするより、ヘリマネで計画的に政府債務を削減したほうがいいというのが著者の提案である。
違うのはあくまでも日本の国債は将来、償還するという建て前になっていることだ。日銀の量的緩和はインフレ目標を実現するためで、財政ファイナンスではないというのが黒田総裁の公式見解だが、それを信じる人は少ない。財政ファイナンス(本書ではマネタリーファイナンス)は法的には禁じられていないし、禁じる理由も明らかではない。「財政規律が失われる」というが、財務省への信頼は高い。
問題はそこではない。日本の財政が危機的だという診断は著者も同じだが、その処方箋はまったく違う。政府の過剰債務の原因は、1990年代のバブル崩壊から始まった民間の過剰債務だった。それを生み出したのは、決済機能という公共インフラを私的な銀行が独占して通貨を増殖させる信用創造というシステムだ。そのリスクは財政ファイナンスより大きい、というのが著者の警告である。
銀行に未来はない
著者は2008年からイギリス金融庁の長官として金融規制を決める立場だったが、銀行の信用創造は債務汚染をもたらしているという。金融理論の教科書では、銀行は企業に融資してリスクを効率的に配分することになっているが、イギリスの銀行融資の80%は不動産担保の貸付であり、これは既存の資産を再分配しているだけだ。ITの発達で地理的な制約がなくなった時代に不動産の価格が上がっているのは奇妙にみえるが、その原因は設備投資コストの減少である。一般の財・サービスに比べて資本財のコストは、1990年から2014年までに33%下がった。その最大の原因は、物理的な設備がITに置き換えられたからだ。
その結果、先進国では地方で広い土地を必要とする工場が減り、大都市の都心部にオフィスを立地する企業が増えた。こういう企業の土地あたりの生産性は高いので、地価は上がり、不動産担保融資が増えた。これは狭い意味の不動産業への融資ではなく、土地集約的なサービス業への融資である。
こうした再開発にもメリットはあるが、その弊害はきわめて大きい。銀行は短期で借りた預金を企業に長期で貸して利益を上げているが、これは預金者の無知につけこむビジネスであり、彼らが一挙に取り付けに走ると銀行システムは破綻する。その保険として預金準備率が規制で決められているが数%と低く、金融危機には役に立たない。
安全なのは預金準備率を100%に規制して銀行を「ナローバンク」にするシカゴ・プランである。これはアーヴィング・フィッシャーやミルトン・フリードマンも提案したが、銀行が信用創造できないので強く反対した。次善の策は(著者もイギリス金融庁長官として試みた)銀行の自己資本比率規制だが、これにも銀行業界が抵抗して中途半端に終わった。
しかし世界的に企業が貯蓄過剰になり、金利がマイナスになる状況で、従来型の銀行に未来はない。それを示したのが日本である。1998年から始まった企業の貯蓄過剰は、世界的なデレバレッジ(債務解消)の先駆けだった。その後の長期にわたる低インフレ・低金利は、ビジネスとしての役割を終えた銀行が、ゆるやかにナローバンクになる「安楽死」である。
長期停滞かヘリマネか
長期停滞の原因が一時的な需要不足ではなく長期的な投資水準の低下だとすると、金利では調整できない。企業が金を貸して政府が借りる状況では、金融緩和には民間投資を高める効果はなく、日銀の量的緩和はヘリマネになるしかない。これはヘリコプターから紙幣をばらまく必要はなく、国債を中央銀行が買い取って相殺すれば、統合政府のバランスシートでみると政府債務は消える。財政ファイナンスは金融政策のタブーだが、日本はすでに史上空前の規模でそれを実施している、と著者は指摘する。
日銀はすでに政府債務の4割を保有しており、国債の金利は国庫納付金として全額、政府に払っているので、日銀の保有する国債は無利子である。それを日銀が売却することも事実上できないので永久債だから、政府債務は「マネタイズ」されているのだ。それを日銀が認めればヘリマネになる。
これによって政府債務は相殺できるが、財政赤字が無限に増えると解釈され、通貨の信認が失われて財政インフレが起こるかもしれない。そういうリスクは著者も認めるが、このまま日本政府の過剰債務を放置すると、それが次の金融危機の発火点になるリスクもある。どっちのリスクが大きいかというのが、本書のタイトルにもある「債務か悪魔か」という問題である。
日本の政府債務はすべて償還できないし、する必要もないが、過剰債務を先送りしていると長期停滞が続き、思わぬきっかけで急激な債務整理を強いられるのが過去の金融危機の教訓だ。そうなってからアドホックな対応をするより、ヘリマネで計画的に政府債務を削減したほうがいいというのが著者の提案である。