中央銀行: セントラルバンカーの経験した39年
日銀の白川前総裁の回顧録だが、マスコミの期待するような内情暴露やアベノミクス批判はなく、淡々と一般論で「中央銀行のあり方」が語られる。著者もいうように「中央銀行は不思議な存在である」。日銀は政府機関でありながらジャスダックに上場し、日銀法で独立性が保障されているが、これは自明のルールではない。

理論的には政府と中央銀行のバランスシートは、統合して考えることが合理的だ。法的にも、民主国家で行政機関が内閣から独立すべきかどうかには議論がある。独立性が保障されるようになったのは、スタグフレーションで政府の介入がインフレを加速させた経験によるもので、独立性が明文化されるようになったのは1990年代である。1998年の日銀法改正も、バブル崩壊の影響で実現したものだ。つまり中央銀行の独立性は、インフレを防ぐ制度なのだ。

とすればインフレにしようとしてもできない時代に独立性を保障する必要はない、という議論もあるが、著者はこれに反論する。中央銀行の仕事を「インフレファイター」に限定するのは、経済の不均衡はインフレやデフレという形で出てくるという考え方にもとづいているが、これは一面的だ。不均衡は資産バブルという形で蓄積され、その崩壊による金融危機として表面化する、というのがここ30年の先進国の経験である。

この点で、著者は「主流派マクロ経済学のバイアス」にも疑問を呈する。世界の中央銀行が採用している動学マクロ理論(DSGE)によれば、経済の動きは成長トレンドとその攪乱で成り立っており、中央銀行の役割は金融政策で攪乱を最小化することだということになっているが、これでは金融危機は説明できない。
そういうモデルが役に立つ時期もあったが、1990年代の日本や2010年代の米欧の経験では、経済はもっと大きなサイクルで循環し、その均衡が破壊されると経済が大きく下方にシフトする。そして金融機関はそのサイクルをむしろ拡大することが多い。そういう状況についての理論モデルがない。

金融危機の処理は試行錯誤

中央銀行の役割についても、著者は金融政策による景気対策の効果は限定的だという。その本質的な機能は、金融危機のとき「最後の貸し手」として流動性を供給することだが、この点で90年代の日銀は十分な機能を果たせなかった。当時は不良債権の処理を「先送り」したと批判されたが、「銀行救済」に反対したのは政治家とマスコミだった。

1992年に宮沢首相が公的資金の投入に言及したとき、日経新聞を初めとしてマスコミは銀行の「自己責任」だと反対した。経済学者もモラル・ハザードを起こすとして反対し、大蔵省も公的資金投入に否定的だった。このため日銀は銀行に資本注入する資金がなく、手を打てなかった。

これはアメリカと対照的だ。財務省がリーマン・ブラザーズを破産させ、議会がその救済法案(TARP)を否決したのは失敗だったが、FRBは迅速に大量の流動性供給を行い、TARPも可決されて資本注入が行われた。日本の場合はリーマンのように劇的な破綻が起こらなかったため、金融危機が1997年秋の山一証券の廃業まで持ち越された。

このとき日銀は山一に無制限の流動性供給を行った。その結果、日銀は1111億円の損失をこうむったが、リーマンのようなシステミック・リスクの顕在化は防いだ。それでも1998年以降は金融危機が起こり、最終的には小泉内閣で不良債権の清算や銀行の国有化が行われた。

著者はこういう「ハード・ランディング」には否定的だ。90年代初期から整理回収機構のような形で不良債権を処理するとともに資本注入するしくみをつくり、財政資金を投入すべきだったという(明確には書いてない)。ところが大蔵省まで銀行救済には否定的だったため、日銀も処理を「先送り」せざるをえなかった。

これはアメリカも同じで、資本注入には強い反対があり、モラル・ハザードを起こすという批判もあったが、著者はそれをガイトナー(リーマン当時のNY連銀総裁)の言葉を借りて「旧約聖書」だという。事後的には資本注入で救済することが、被害を最小化する道だ。金融危機のダメージは、事前のインセンティブへの効果よりはるかに大きい。この点は今も理解されていないので、また日本で問題が起こると「自己責任論」が出てくるのではないか。

このように現代の金融システムはストックを中心に動いているのに、いまだに主流派のマクロ経済学はそれを取り入れていないため、金融理論には貨幣が存在しない。問題は「デフレ脱却」ではなく、次の金融危機にどう備えるかということだが、この点について中央銀行はいまだに試行錯誤で、理論武装できていないというのが本書の印象である。