進化はすべて生存競争による「適者生存」の結果だ、というダーウィン以来の進化論の原理によると、生物の機能はすべて環境に適応するためにできたもので、無駄な進化というのはないはずだ。しかし生物には一見すると、無駄な機能が多い。



オーストラリアにいるクジャクグモという体長5mmほどの小さなクモのオスは、背中に派手な飾りをつけ、それを広げてメスの前でダンスを踊る。メスはこのダンスを見て交尾するオスを決めるというが、どれも同じように派手な模様で、同じようなダンスをしているので、どれが生殖能力の高いオスかは(人間には)わからない。このダンスには本当に意味があるのだろうか。

これは進化生物学で重要な適応主義論争のテーマである。すべての進化が環境に適応するものだとすると、この無駄なダンスにも意味があるはずだ。敵に捕食されやすい飾りをつけて目立つダンスをするオスは、敵が来ても逃げられる能力をメスに誇示するという目的に適応した、と解釈するのがハンディキャップ理論だ。

だがグールドの批判によれば、それは適応主義の神話にすぎない。こういう無駄な機能は、ある環境に適応してできた形質が、役に立たなくなっても残る進化の痕跡、スパンドレルだということになる。人間の音楽もダンスも、今は生存に意味のないスパンドレルだ。そう思って見ると、これは人間の歌手のダンスに似ていないだろうか。

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