AI原論 神の支配と人間の自由 (講談社選書メチエ)
最近よく「人工知能(AI)が人間を超えるか」という類の議論がある。この答は、AIの定義による。それを「人間の脳」と考えるなら、コンピュータで脳を完全にコピーすることはできないし、そんなことをする意味もない。他方、AIを「脳の機能」と考えると、コンピュータの能力が人間を超える分野はすでに多い。

だから「ビッグデータ」を使って「ディープラーニング」で学習すれば、コンピュータの(判断や類推などを含む)認識能力が人間を上回る日が来るかもしれない。今でも人間より速く走れる機械や、人間より重い荷物をもてる機械はある。人間より速く考える機械ができるのも同じような変化で、本質的な問題ではない。脳の機能を身体の他の機能とちがう特権的なものと考えるのは「脳中心主義」の錯覚である。

ところが世の中には、これをまじめに論じる人がいる。本書はその極めつけで、なぜかAIと「思弁的実在論」を結びつける。これは近代哲学の主流である「相関主義」を否定して、主観を超えた実在を認識できると主張するが、AIはそんなことを目標にしてはいない。彼らはコンピュータの総合的な認識能力が高まるというだけで、その認識が客観的実在と一致する必要はない。本書の問題設定はトンチンカンなのだ。

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