政治の衰退 上 フランス革命から民主主義の未来へ
議会によるデモクラシーはここ200年ほどヨーロッパに生まれた制度であり、近代国家の必然ではなく、唯一のモデルでもない。今のところは成功モデルとされているが、多重のチェック機構があるので、合意形成に時間がかかり、効率が悪い。もっとも効率的に意思決定できるのは独裁国家である。

この効率とチェックのトレードオフが、近代国家の抱える問題である。チェックを重視する権力分散がアメリカ型で、意思決定を内閣に集中するのがイギリス型だが、著者はアメリカ型を高く評価していない。政府と議会がバラバラに意思決定し、官僚制が機能しないので金のかかる司法が強く、政治家は腐敗している。

これに対してイギリス型に近い日本では、清潔で優秀な官僚機構に権力が集中し、成功したというが、「決められない政治」は似たようなものだ。政治家が金で動く傾向はアメリカほどひどくないが、政権交代がないので政治の転換がむずかしい。

世界全体をみるとデモクラシーは少数派で、21世紀に入って中国やロシアのような独裁国家が成長している。欧米人は「自由のない国家はいずれ没落する」といい続けてきたが、その兆候はみえない。中国は、デモクラシーの次の国家モデルになるのだろうか。

独裁かデモクラシーか

経済学者は「社会主義のような集権的経済システムより市場経済の分権的システムがすぐれている」と思っているが、これは理論的根拠がない。新古典派経済学はもともと社会主義の理論であり、全知全能の計画当局が存在したら、市場で試行錯誤する必要はない。これから人工知能が発展したら、そういう計画も可能になるかもしれない。

現実の資本主義も、GAFA(グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾン)のように創業者の「独裁」で運営する企業がトップランナーだ。日本でもソフトバンクやユニクロのような独裁型が強く、民主的な大企業は負け組だ。原子力や半導体や電気自動車でも、中国がリーダーになろうとしている。

その原因は、マルクスが指摘したように、もともと(市場経済と区別される)資本主義は「独裁」だからである。これを民主化しようとしたのが社会主義だったが、結果的には最悪の独裁に終わった。それに対して「独裁的デモクラシー」として出てきたのがアメリカのニューディールやヨーロッパの社会民主主義だった。

このように政治の世界には、独裁かデモクラシーかという選択肢しかなく、現実の制度はその組み合わせだが、前者から後者に移行する必然性はない。チャーチルがいったようにデモクラシーは最悪の制度だが、それ以外の制度がすべて試みられたわけではないからだ。