京都大学が打ち出した「軍事研究の禁止」の方針が話題を呼んでいる。
本学における研究活動は、社会の安寧と人類の幸福、平和へ貢献することを目的とするものであり、それらを脅かすことに繋がる軍事研究は、これを行わないこととします
「軍事研究」の定義が不明だが、「軍事的に利用できる研究」と理解すると、コンピュータもインターネットも京大では研究できない。前者は弾道計算のために、後者は核戦争に生き残る分散ネットワークとして開発されたものだからである。さらに原爆は相対性理論から生まれたので、京大では理論物理学の研究も禁止だ。

戦争はイノベーションの源泉である。生命を守るという至上命令のために、政府はコストを考えないで新技術を開発するからだ。21世紀の戦争は、ロボットやドローンなどの無人兵器が主力で、それを制御するのは人工知能である。これから京大では、ロボットもドローンも人工知能も研究できない。

資本主義を生んだ「軍事革命」

アジアと西洋の運命をわけたのは、軍事的イノベーションだった。西洋の戦争を一変させた爆弾や大砲などの重火器は、日本では明治時代まで導入されなかった。大砲が最初に発明されたのは13世紀の中国だが、これもほとんど発達しなかった。それは東洋が基本的に平和だったからだ。

それに対して中世後期から戦争の続いた西洋では重火器が発達して軍事革命が起こり、これが経済発展の原因となった。通商や貿易を行なうためには、船の安全が必要条件なのだ。初期の海上貿易を保護したのは民間の護衛サービスだったが、こうした海賊を国営化することによって海軍ができた。

地上戦では、城壁などの守備技術が発達するにつれて、それを破壊する武器は重火器しかなくなり、巨額の資本を調達できる国が勝ち残った。イタリアのように小さな都市国家が分立している状態では、物量の戦争には勝てなくなった。

中世の戦争は短期契約の傭兵によって行なわれたが、戦争が日常的に行なわれるようになると、契約ベースの傭兵は金で敵国に転ぶので危険だった。戦争に勝ち残ったのは、徴兵制で市民を戦争に動員し、租税でそのコストを徴収する「国家資本主義」をとったスペインやイギリスだった。

東洋のように平和が長く続くと、重要なのは労働集約的な農業技術だが、戦争に勝ち残ることが絶対条件となった西洋では、資本集約的な軍事技術がもっとも重要になり、そのために機械化(資本集約的な技術進歩)が進んだ。それが産業革命である。

イノベーションがつねに戦争から生まれるわけではないが、電気自動車や自動運転のようなインフラ型の技術開発には、国家が大きなリスクを取ることが必要だ。21世紀のイノベーションの主役は、中国やロシアのような国家資本主義になるかもしれない。